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うつだけど成人していいですか。

うつ状態からのサバイバル演習(仮)

取り急ぎ、死にたい


こんばんは、前回の記事の続きを書くつもりでしたが、自分の中で色々あって書けそうにありません。


というか、前回の記事は勢いで書いていたので、一応読み返してみたら、予想通り後半が目次を無視した進行になっていました。

目次の最後に書くつもりのテーマが、前回の記事の最後にもう入ってました。

とりあえず言いたいテーマは完結したので、続きをまた書き直すかどうかは私の気分次第ということでよろしくお願いします。



今はどうしても取り急ぎ死にたい気分というか、

こんな風に謝罪記事書くくらいだから元気だろと思われるかもしれないのですが、

もし死ぬなら記事を中途半端に投げ出す真似は出来ないと思ったからこうして謝罪してみたというか、

こうして冷静に文章を打てるくらいに落ち着いた気持ちで考え直してみても、どうしても死にたくなってしまうのです。

いや、解決するためには死ぬしかないのではないかと思われるのです。


死にたい気持ちを他人に発信することはこれまであまりしませんでした。

不幸に溺れた自己憐憫の気持ちを他人に押し付けるなんて烏滸がましすぎるし、話しかけた相手が現在幸せだったら良い気分を害して申し訳ないし、既に相手がつらい状況だったら不幸自慢なんてしたくないし…


しかし、どうにもこうにも考えても結論が出ないので、こうして誰かに相談したい気持ちを抑えることが出来ず、

ネットという場所に頼ってみてしまったのです。


誰かがみてるかも分からないし、誰も見てないかもしれない。

いっそ誰にも見て欲しくないと思うけれど、心の底からの気持ちを死ぬ前に1度くらい見てほしい。

そういう気持ちです。


自殺する方が遺書を書きますが、こういう気持ちなのかなぁとふと思いました。

誰にも迷惑をかけずに静かに消えたいけど、最後に、ひと足掻きだけ、許されるのではないだろうか。


ネットに公開記事として出すというリスクが高すぎる行為ですが、これまで散々我慢をさせられてきたので、最後に、私も両親に対してひと足掻きだけしてみたい。


両親に対する虚しい抵抗といえば、不登校も1つの無言の抵抗であったのかとも思われます。

本当は、私はずっと両親に受け入れて欲しかった。

不登校でも、許して欲しかった。不登校の私でも受け入れて欲しかった。

朝になると起きろと怒りに来る父親と母親が怖くて仕方なかった。


不登校をきっかけとして、これまで水面下であった家庭内のぎこちなさに火が付いて、表立って私の話題で両親が喧嘩したりすることが増え、

時間を遡って教育のやり方についても2人の考えの差が口論になり、育て方を間違えたのは母親のせいだと怒る父親に、進学校に無理に行かせたのが悪かったと言われ、

仲の悪い両親に兄も家にいづらさを覚えて申し訳なかったし、

激しすぎる喧嘩の日は涙が止まらなかったし、父親が殴るんじゃないかと思うと喧嘩を無視して眠ることも出来なかったし、

中3から学校に行くようになってからも、時々起こる喧嘩が丁度部活の大事な時期と重なって精神が参ったし、

喧嘩中に離婚だ!とか言う両親の一言に振り回されたし、


私は何が正しかったのか分かりません。

家の歪みを表面化させたきっかけが自分自身であることが申し訳なく当時も毎日死にたいと思っていたし、今も消えたいです。



長く書いてしまいましたが、要は両親の不仲がどうしても治らないのです。


自分のことは自分でやれるようになって、

この春休みに沢山成長して、

実際前向きに自分を変えてきたのに、

自分の長所を見つけて自分を自分で認めてあげることも出来るようになったけど、

両親の不仲さは変わる気配がないのです。


自分のことは思うように良い方向へ変えられるけど、他人のことは上手く変えていける気がしません。



そして明日は私の成人式の前撮りの日です。


良い機会だし家族が集まって家族写真も撮ってしまおうと母親が言い出したので、父親と兄も来ることになりましたが、

連絡不足で段取りが上手くいかなくてすれ違う両親に、

なんで連絡くらいロクに出来ないのか不思議で仕方ありません。


良い大人なのに、私には甘えることを許さず育ててきたくせに、なんで自分には甘くて、相手への不満を隠そうとせずに、我を通したがって、連絡が不足し、

主役であるはずの娘が気を揉まなければならないのか。


私は自分が主役の日でさえ、何も考えずに主役を楽しむことを許されないのでしょうか?


私がとても小さいことで勝手にイライラしているみたいで、自分が嫌になってきました。



イライラしたくないのですが、家族のことになるとどうしても取り乱してしまいます。


私はどこかおかしいのでしょうか?

自分が動かずに家族に期待しすぎているのでしょうか?


これまで家族のためを思って、私は真面目に素行も良好に生きてきたのに、

遊ばずにちゃんと家に帰ったし、心配はかけないようにしたし、青春を返上して、

父親が気分を害さないよう常に顔色を伺って、

家族がこれ以上バラバラにならないよう家にキチンといたのに、

兄は家を出て行くし母親は相変わらず勝手だし、父親を逆撫ですることを言うし、


私だけ家に縛られてアホだったのではないかと思うようになりました。



実際この2月3月実家を離れて暮らし、ほぼ1人で動き回って、

母親にこれまであなたは無理と言われていたこともこなせたし、

自分は思っていたより引っ込み思案ではなかったし出来ることも沢山あったと気付きました。


家族と接さない方が心が安定していて、

私は家族と縁を切った方が成功するのではないかと思えてきました。


明日の前撮りの写真も1人で撮りたい。

ほんとうは私は家族が嫌い。

ほんとうは私は化粧が好き。

ほんとうは赤い口紅が好き。

ほんとうはおしゃれが好き。

ほんとうはモード系が好き。

ほんとうは家出してみたい。

ほんとうは夜遊びしてみたい。

ほんとうは誰かに甘えたい。

ほんとうは私は1人で出来る。

ほんとうは私は自由が好き。



化粧をしていて母親に良い顔をされないとき、赤い口紅を揶揄されたとき、私の心は実は死んでいたのではないか。

これまで、両親に否定されてきたことは、

ほんとうの私の自由や可能性を潰されていたのではないか、

バイトを始めて、手放しで褒めてくれる人と出会って、私は思ってるより出来ることがたくさんある人間なのではないか、

出来ないと思い込んでいただけではないか、


家族と縁を切った方が自分は幸せなのではないか、



冷静に何度考え直そうと思っても両親を責めるようなトンチンカンな無責任な考えばかりが頭を巡るのです。

これも全部、子供ゆえののワガママなのか。

屁理屈をこねるのが得意と昔から親に怒られてきたけど、これも屁理屈なのではないか、


何が正しいのか分かりません。


前向きに生きることが出来るようになったつもりだったけど、明日の前撮りがつらいです。

取り急ぎ、死にたい。


学生のしんどさも大人のしんどさと変わらないだろという話

 

 

こんにちは、お久しぶりの更新です。

 

はてなブログって前回の更新から一か月過ぎると「そろそろ書いてみませんか?」というメールが届くシステムなんですが、正直・・・

うっとうしいわ

 

記事の更新頻度なんて、毎日書く人もいれば一か月二か月にまとめてドカッと書く人もいるだろ?!?!?!っていう…

ま、それをいちいちはてなブログに怒る気もないのですが、メールボックスを3日に一回くらい確認する私としては8件くらい入ってる通販のおススメメールと並んで邪魔なメールの一つになってしまいますw

昔から催促されるのが大嫌いなタチなもので…

はてなブログたん(勝手に脳内で擬人化)は好意で「そろそろ書きたくなったでしょ?♡」って勧めてくれてるんだろうけど…

ごめんね♡

メールはゴミ箱入れといた

 

逆に、毎日更新してる人を見ると尊敬します。

記事書く体力が残ってるなんて、虚弱体質の私には無理です。

切実に一日の時間と体力のやりくりの仕方を教えてほしいです。

 

勢いで書き始めて飽きてやめた下書き2件くらいあるので免罪かな?

 

 

ここから本題

 

今日重い腰を上げて書き始めたのは、二日かけて考えが纏まったからです。

タイトル通り、学生のつらさも社会人のつらさも比べないでほしいという話。

 

このブログにも再三書いてるのでご存知の方もいらっしゃるでしょうが、中学二年の時に1年近く不登校をやってました。

(高校卒業まで延々と休みがちでしたw)

不登校やった奴なりに当時を振り返りつつ、書き連ねていくのでよろしくお願いします。

 

ざっと目次

  1. 私が不登校になったきっかけ
  2. 「所属先がしんどい」に学生も社会人もない
  3. 環境の変化についていけない時は自分で猶予を与えよ
  4. 「しんどさ」に学びを見出すのは後からでよい
  5. 「生きるか死ぬか」決死の判断の機会が遅いか早いか

 

 

1.私が不登校になったきっかけ

自分のことを振り返りつつ、しかも失敗点について大々的にネットに書き連ねるなんて正気か?!と私自身も思いますが、

もしかしたら、今不登校で悩んでる人や死にたいと思ってる学生がこれを読んでいるとしたら、

もしこの記事が参考になったなら、

そう思って大大的な概念的公開オナニーを始めたいと思います。

そうじゃない人も気軽に読んでください…

そもそも文章なんて全部概念的オナニーの結晶だろ

 

私が不登校になったきっかけは、転部して入った部活でした。

改めてここで断っておきたいのですが、当時所属していた先輩方や後輩さんをこの記事を書くことで貶めたい気持ちは一切ありません。

 

しかし、当時の私には部活がつらかった。

中一で所属していたゆるいバレーボールの部活を離れ、宝塚気分で適当に入ってみた演劇部が想像以上にスパルタで、事前知識を一切持たずに入った部活の実態についていくのに必死でした。

マナーに厳しいとか事前に何も聞かされていないのに(完全に物見遊山気分で入部したせい)、座っただけでマナーを1から10まで注意され、どうやら伝統らしい形式を見よう見まねで自分から覚えなければならず…

同輩は後輩の指導で手一杯だったので、私が聞ける雰囲気でもなく、後輩より後になってレポートの書式を知るとか多々ありました(笑)

あとは朝練の集合時間のとんでもない早さ、朝練での筋トレメニューがつらすぎて朝ご飯を吐いたり、気が遠くなったり…

 

スパルタぶりは運動部に匹敵するくらいだったんじゃないかと思います。

この部活で過ごしてきた私より前の代の先輩方や、今過ごしている後輩さんたちを思うと「全員スーパーマンでは?」と心の底から尊敬します。

 

新しい環境ですべてのことに当時精一杯だった私が一番しんどかったのは、先輩からの呼び出しでした。

私は朝練に寝坊するわ欠席するわ劣等生だったので、先輩からしたら私以上に腹の立つ後輩はいなかったのではないかと思います。

 

今から考えると「劇を作り上げていくうえで、欠員が出たら練習が回りにくくなり予定通り完成まで進めない」ということも分かるし、責任の取り方も分かります。

 

しかし、当時はまだ中二でした。

なんでも出来て不自由せず天狗だったわたしのケツが青かったのもありますが、何も知らずゆっくり教えてもらえない状況で、ドンドン追い込まれていきました。

まだ若い人が何か出来なくても急かさず見守ってほしい。

今、部活に馴染めなくて先輩に色々言われている人も、焦らないでほしいです。時間が経てば慣れます。

時間が解決する問題も、あります。

 

お腹をすぐに下す癖がついたのもこの頃からです。

一度メンタル面から体調を崩すと癖がついてしまうので、今、なにかしら精神的な問題で体を崩してるなと思い当たる人は、なるべく早くお医者さんにかかり、きちんとした処方を受けて早め早めに治していってください。

(経験則として、市販の薬で自己流で治そうと思ってもたいていの場合うまくいきません。)

お願いします。

 

部活の詳しい内情はさて置き、上手くいかなくなってから徐々に体にも異常が出てきました。

若いので朝練のハードな筋トレにも徐々に慣れていきましたが、体の奥、内臓は正直なのでそのうちにガタが来ます。

私の場合は、部活のことを考えただけで苦しくなったりお腹を壊したり、朝練に間に合うために電車内で腹痛を我慢し続けた結果、視界が白黒して倒れる寸前までいったこともあります。

我慢は良くないです。今何かしらおかしいと思った人にはすぐ休んでほしいと思います。

 

 

2.「所属先がしんどい」に学生も社会人もない

 

上に書いてきたように、色々な要因から所属先の部活にしんどさを覚え始めて結局体を壊し、朝起きるのがつらくなり不登校ライフを始めた私ですが、世の中の不登校の要因はいろいろあると思います。

私は部活という括りでしたが、人によってはクラスという括りであったり、仲良しグループであったり、はたまた学校であったりすると思います。

これが、当事者が社会人になると会社や勤務先という括りになるわけです。

 

最近は社会人の方々がブラック企業などの様々な勤務先の待遇の悪さゆえに鬱になり退職せざるを得なくなったり、最悪の場合自殺してしまうニュースが後を絶ちません。

学生のいじめゆえの自殺も問題になっています。

 

社会人の方々の問題は、労働状況の待遇改善などの取り組みが始まっていますし、うつによる休職やその後の転職など、うつの衆知によって社会の受け止め方も柔軟になってきたように感じます。

でも、学生はどうでしょうか。

 

学生というのは極めて特殊で、閉鎖的で、融通の利かない環境だと私は思っています。

 

少し休むだけで授業についていけなくなるし、宿題が何かも分からないし、クラスからも浮いた存在になるし、長期間休めばなおさらです。

会社の休職はだんだん受け入れられてきているように思えますが、学校で休学や退学なんてしたらキャリアはゴミくず同然だし、周りからの目は冷たいなんてもんじゃありません。

不登校時代に「せっかく進学校にいったのにね」と近所の目が苦しくて仕方ありませんでした。

近所で一人進学校にいったことは、逆に失敗したときに注目されざるを得なくて、進学校には何か陰口に耐えねばならん宿命でもあんのか?ってくらい謎でしたね。

 

もし今自分が不登校で、どこにも受け入れてもらえず、誰にも必要されていないと絶望している人がいたら、どうか絶望しないでほしい。

環境の特殊性のせいでもあるから、どうか気にしないでほしい。上手くいかないのは全部あなたのせいではない。あなたは、必ず、生きている価値のある人です。

 

所属先がつらいのに大人も子供もないです。

つらいかどうかの尺度はその人本人に委ねられているのだから、他人が判断するのはおかしいです。

私は、「こんなことも出来ずに、それくらいのことで休むな、会社には毎朝出勤しないといけないんだぞ、社会に出たらやっていけないぞ、大人になったらどうするんだ」

と言葉の暴力で殴られ、「つらい」をなかったことにされてきました。

今現在不登校の人も、こうして大人から否定されたことが一度や二度あるのではないですか?

 

大人から言われる言葉は残酷です。

正論で子供を殴ってきます。

ただ、その正論が時として子供を殺すことがあると知っていてほしい。

 

だいたい、なんのための「子供」だと思ってるんですか?

ここから学んで大人になっていくためではないですか?

そうやって正論を吐けるようになったということは、大人のあなたも何かしらの経験を経てその考えを身に着けたのではないですか?

その経験をしたのはいつですか?

子供のころのあなたは出来ていましたか?

 

学生の「つらい」にも目を向けてほしい。

そう思います。

 

 

社会人の方が会社でうつになって死にたくなることと、学生が学校でうつになることの重みは変わらないと思います。

毎日生きるか死ぬか、言葉通り命かけて悩んでる人を区別しても仕方ないですよね。

 

私は「生きるか死ぬか」本気で悩むことは誰にでも人生に一度は起こることだと思います。

社会人になって悩んでいるひとは、学生時代にはその機会がなくて、社会人でその機会が訪れた人。

学生のうちに不登校などの理由で悩んでいる人は、たまたま早めにその機会が訪れた人。

生きるか死ぬか本気で悩むから、だからこそ、その試練の時に得たものが今後の人生に活かされていく。

人生の転機とでも言うんでしょうかね。

 

それゆえに、学生時代に今不登校で悩んでいる人は未知の可能性があると思います

学生のうちから生死に関して深く悩むなんてなかなか無いですよ。

今回これだけ悩んだことは、今はしんどくても、悩みが解決した後は「解決する力」として身につきます。

生死の悩み」を解決した後なんて、なんでも解決できますよ。

人間の生死以上に深い問題なんてあります?どれもちっせ~モンですよ。

 

生きるかどうか迷ってたあの時に自分は一度死んだ」くらいに開き直れるようになると、あの時結局生きることを決断してくれたお陰で生きているという事実に感謝するようになります。

 

今死にたい気分の人も自分を責めないでくださいね。

 

この記事を読んでいる人の中で、過去に死にたかった人も、過去のあなたが生きることを選び取ってくれたことに感謝したいと思います。

生きていてくれて、私の記事を読んでくれて、ありがとう。

 

 

書いてたらバイトの出勤時間が迫ってきたので、ここで一度切ります!

続きはまた後日~!

 

 

  1. 私が不登校になったきっかけ
  2. 「所属先がしんどい」に学生も社会人もない      ☜イマココ!
  3. 環境の変化についていけない時は自分で猶予を与えよ
  4. 「しんどさ」に学びを見出すのは後からでよい
  5. 「生きるか死ぬか」決死の判断の機会が遅いか早いか

 

 

 

価値観の180度転換って案外あるよって話

 

こんばんは、狙ってるわけではないけど更新が夜に集中してます。

 

多分お風呂入りながら取り留めもないこと考えるのが習慣になってるので、そのお風呂プロセスを経て上手く文章化出来たぞ!っていう時に更新してるのかなと。

お風呂入るとき、他の人は何やってるんでしょうか?

私は主に反省会ですね。

あとは「あれやりたいな~」とか、この先の予定立てたり。

お風呂は力が上手く抜けててポンポン考えが浮かびます。

 

その反省会のせいでネガティブな時は余計落ち込むという

前回の更新の時に立ち直り方を覚えたので、今日は凹んでません!!!

 

その前回の教訓はこちら

 (最後の方に書いてあります)

utsudakedo.hatenablog.com

 

その立ち直りから色々派生して、今日は「どう考えればポジティブになれるのか?」をテーマに考え事をしていました。

 

立ち止まって動けなくなるのって、やっぱり大きな原因は頑固さだと思います。

 

ちなみに私は超頑固で拘りが強いです。(※これからはいい意味で生かしていこうと思っているよ!)

趣味第一で生きてるから一人の時間を邪魔されると怒るとか。

これもオタク気質の要因の一つかな・・・

 

で、ここから本題です。

その頑固さ、一回捨ててみない???

 

 

・・・いやいや、頑固だからこそ、今の考え捨てるとか考えられないんですけど。

 

 

そうだね~!そうだよね~~?!

日本全国の頑固なフレンズのみんな~~!

わかる~~~!!その気持ちわかる~~!!!

 

そこで未だにちょっと頑固なわたくしからの一言。

 

そういえば

この私でも価値観180度変わったことあったわ。

 

 

 

なんで今更思い出したのってくらい今更な話ですが、去年からKpopファンやってます。

日が浅いね?

それくらい急に「好き」の対象になったんです。

 

これまで、韓国の文化なんてハマってしまう訳がないと思ってました。

「え?韓国?整形でしょ・・・チャングンソク別にイケメンじゃないし顔怖いし・・・整形はks」とか

「韓国って強引だしわがままな国だな」とか政治的にもモヤッてたので

(※政治面での深い議論はここではしません)

韓国を好きになるはずがなかったんです。ほぼ100%。

 

なおさらKpopに関しては偏見が凄くて、中学生当時韓流ブームだったのでハマっている友達も多かったのですが、あまのじゃくな私は「絶対好きになってやるもんか」くらいの気持ちでした・・・

ちらっと見ただけの韓国俳優の顔だけで「全員ブス」と決めつけてたり・・・

 

今思うと、偏見って超無意味だし損しかない。

超悔しい。

 

損っていうのも、ブームだった当時(私の体感だと2012~2014頃)からハマっておけば、今の推しグループの全盛期を一緒に楽しめたのに!!!!!

新人から何かの曲で一気にブレイク!っていう醍醐味を一緒に駆け抜けられたのに・・・

アイドルと一緒に駆け抜けて一緒の景色を見られるっていうのがとてつもなくワクワクして好きなので超悔しい。

(詳しいアイドル観については後日語りたいと思います。)

 

 

重要なので繰り返し言います、偏見は損です

 

ここから得られた私の教訓としては、

ブームに乗るのって超楽しいし良いこといっぱい!!

です。

供給もどんどん出てくるから楽しんだもん勝ちです。

あとからブームを追いかけるのはしんどい。たいていの場合はブーム時ほど供給がない。

 

「ブームにすぐ乗る尻軽女どもめ」とお思いかもしれませんが、繰り返し言うように乗って損はないし、尻軽が嫌ならなりふり構わず全部に食いつかずに、何か少しでも心の琴線に触れたら乗るべきです。

その自分のアンテナの反応は疑ったら駄目だと思います。

それこそがインスピレーションってやつだと私は思います。

思わんところに自分の好きなものを吊り上げるためのレーダーが反応するもんです。

 

わたしは、自分の好きなものって増えたほうがいいと思ってます。

「好き」って気持ちは超ポジティブ。純粋で穢れがない。なんでもできる。

私の場合は好きになったら弾丸のようにそれに心血を注ぐし行動も早い。

何かを好きになることは罪ではない。いろいろな物事の原動力になるし、一番尊ばれるべき感情だと思います。

 

 

で、話がちょいと逸れたので戻します。

私の場合は思いもよらない形で「絶対に好きにならん」と思ってた韓国アイドルを「好き」になりました。

 

・・・こ、コペルニクス的転換~~~!!!!!

 

価値観の180度転換なんて普通に起こるんだなと思いました。

趣味の範囲だったので私自身見落としてましたが、頑固でもこういう価値観の転換ってマジであると思います。

人生わからんな。

 

今現在、頑固で悩んでても大丈夫。

今すぐに変われってわけじゃないんです。

「誰にでも変化が起こり得る」と思っとくと気が楽だし、一応その変化を受け入れやすいと思います。

 

頑固ゆえに悩みがちなフレンズのみんな~!

希望はあるから生きよ~!

 

 

絶対ハマらんと思ってた他国の文化にハマった私の感想をここに書いときたいと思います。

 

政治的にはいろいろな国がいろいろな理由で対立やすれ違い、問題を抱えています。

しかし、それだけが全てではありません。

私たち一般人は、こうやって今もその国家という大きな枠組みとはまた別の次元で日々活動していて、日々生きているわけです。

国家の枠組みを忘れろ、とかいう訳ではありません。そこまで能天気じゃないです。

しかし、その枠組みに囚われては私たちの日々の活動はとても味気なくなるし、伸びしろがなくなります。

別の次元では国家の枠組みがあるけど、それを飛び越えて自由に活動ができるのが一般人の強みではないですか?

文化と政治はまた別だと考えます。

文化は多様性から育まれ発展します。

「○○国だから」という偏見はつまらないと思います。

食わず嫌いは良くない。

政治面では良く思ってないとしても、その国に住む人々はまた私と同じように日々生きているだけなのです。

自由に生きよう!

そう思います。

 

枠組みではなくその人、その物事の良さに目を向け、評価したい。

「好き」は幸せだ。

 

 

明日も偏見を乗り越えて自分の価値観を柔軟に、そして経験を豊かにしていきたいと思います。

 

 

Kpopにハマって自分の音楽への興味も増えてチョ~~~楽しい!!!!!!

フレンズのみんな~~!!!人生たのし~~~!!!!

 

 

 

おととい死にかけた話②

 

前回のまとめ

ストレスのせいで急に死にそうになった

 

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

 

今回は前回の記事を踏まえたうえで反省会です。

 

 

死にかけて思ったこと

まず、血液検査の結果が健康的すぎ。

風邪とか引いたりしても変化するらしい白血球とか、内臓うんぬんが悪くても変化するらしい色々な項目、見せてもらいましたけど、全くもって健康。

腹立つくらい普通。

というか病院に来てる人たちの中で一番いい数値だった自信あるわ。

 

それでまず言えることは、ここ最近あまりにも献立とか栄養状況、睡眠状態に過敏になってたけどいらん心配だった。

 

病は気からとも言いますが、考えすぎはよくないのも確かですね。

今回、こうやって数値として分かったことだし、これからは少し気楽に構えていけそうです。

 

逆に考えれば、人生で一番適当になりがちな時期の大学生でここまで健康に気を使ってる私は素晴らしすぎるのでは?

 

 

でも、診断結果言われた時とてもショックだったんですよ。

考えられる原因はストレスだと????

これまでの私の努力をすべて否定されたような気分でした。

この気持ちはなぜなのか?

 

~回想入ります~

 

 

この1か月間の頑張り

 

正直、この1月から人間に本格復帰したばかりで「あれも」「これも」やること山積みだったわけです。

前回更新したときは丁度大学のテスト期間前くらいで、一気に心の中を整理してザーーーッと書き上げて超絶スッキリ!って気分で忙しくテストと戦って来たのです。

 

私はある程度やることが沢山あった方が、冷静に「次はこれ」とか「これを実現するにはこうするべき」とか浮かんできて効率よく動けるので、好きなタチだなぁと実感したのがこの1月下旬でした。

 

でもこの2月になって、何があったと思います?

春休みですよ。

長期休暇。

これこそ大学生の特権といっても過言ではない。

休みを利用して旅行に行ったり親睦を深めあう青春まっただなか。

もちろん私には縁がない話ですけど

 

 

しかし、忙しく1月を過ごしてきた私は同じくらいの忙しさを無意識に求めてました。

何よりもこれまで4年くらいうだうだしてた自分が許せなくて、早く自分を許せるレベルまで引き上げたかった。

 

だらしない自分に自分が一番腹が立ってて、

比べなくてもいいのに一般的な健康体の人と比べて、

まだ健康じゃない、まだ立ち直ってない、まだまともな人間じゃない・・・

 だから本当はじわじわ溜まってたはずのストレスにも気付かなくて。

 

 

今振り返ってみると、私、自分に厳しすぎひん??

(せめて明るく言いたくて慣れない方言を使いたがる)

 

現在カウンセリングに週一で通っておりますが、カウンセラーさんにも言われるくらいの厳しさ。

これも完璧主義の弊害ですが、目指す高みが高すぎて自分を追い込んでますね。

 

 

自分への厳しさの根底にあるのは何か?

もう、正直自分を責めるのはやめたい。ストレスの原因だと思うし。

なんでこんな厳しいの私は???

 

そこで考えられる結論として挙がったのは、

これまでの自分を恥ずかしく思ってるから。

 

これまで偉そうに記事書いて「うつはキャリア」とか言ってた人間がまだ言う?って感じですが、これに尽きます。

 

世の中でいう普通の人、普通の生活を問題なく送れている人、休まず仕事に行っている人、休まず学校に行っている人、そういう人にならなければ、という意識がずっと自分を追い込んでいます。

 

普通って何?と思われる話かもしれませんが、私にとって普通というものは渇望するものです。

 

これまで、わりと紆余曲折を経てきた19年でしたが、世間一般のレールからは大きく外れてるなぁという生活態度でした。

学校も休みがちだったし、不登校もあったし。

私から見たら毎日ちゃんと登校するってだけで半端じゃなく凄いことです。

 

休みがちで遅刻もしょっちゅうしてた自分が周りにかけてきた迷惑や、無責任な自分を思うと今も許せなくて、

「当時の周りの人に申し訳なかった」とずっと不登校時代の後ろめたさを抱えて卒業したので、そういった普通の人とあれこれ比べがちなんだと思います。

 

比べることがすべての元凶である。

やめような。

 

 

「比べる」癖からその先へ

じゃあ比べずにどうすればいいわけ?とお思いの皆さん、

私なりの答えは

少なくとも、外に出て活動するようになったんだから前より成長している。

と考えることです。

過去の自分と比べるわけです。

 

一度に求めすぎないこと

高みを目指そうとストイックすぎるのは、確かに私のいいところだけど、上を見すぎて足元おろそかになって転んだら元も子もない。

坂道を転がり落ちるようにどんどんネガティブになるし、体調も回復しなくなるだろう。

結局、自分が一番避けたい以前のように少しのきっかけで心が折れてすべて台無しにする無責任な姿になりかねない。

アカンアカン。

 

これから私が目指したいのは何かあっても立ち直れる私である。

 

立ち直るためには、足元見たっていいじゃん。

というか、現実世界で私たちみんな転んだ時って地面を見るし、地面に手をついて起き上がるよね?

 

いいじゃん、足元。

いいじゃん、足元固めていこうよ。

 

 

そもそも…

大学1年にしてここまでいろいろ考えたり悩んだり、なにより勉強する意欲あるのが素晴らしすぎるのでは?

やりたいこと、知りたいことが多すぎて、人の一生が短すぎるのではないかと最近思っている私です。

 

みんな自信もって生きよう。

 

 

あ~~水曜日に勢いのまま死なずに生きてて良かった。

死んでたら好きなアイドルのCDも買えなかった。

推しメンのトレカ引き当てたし、今日はなかなか良い日だったのでは?

 

 

今回学んだこと

  1. ストレスで体調を崩すことは本当にある
  2. そうそう体調を崩すことはないから栄養素の心配しすぎはやめる
  3. タイミングの悪い日は悪いことが重なるものなので仕方がない
  4. すぐに結果を求めない
  5. 自分のペースでじわじわ人間に復帰していければよい
  6. 何かあったら昔の自分から成長点を探す

 

おわり。

 

おととい死にかけた話①

 

世の中の悩める方々こんばんは、気が付けば前回の更新から随分経っていました。

ちなみに最後に書いたやつ↓

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

 

突然ですが、おととい、死にかけました。

死にかけたって言っても厳密には死んでないです。

血液検査してもCT撮っても超絶健康体でした。

でも、本当に具合悪くて。

これまで十二指腸潰瘍もどきを繰り返したり、電車内で腹痛を耐えた末に視界が白黒したこともある私ですが、今回は視界が白黒した時に並んで死ぬと思いましたね~

 

今回は死にかけた事件を振り返る、超誰得?な超絶ネガティブ忘備録なので飛ばしてもいいです。

 

1.火曜夜から水曜日の出来事

 

主な症状は頭痛でした。

 

火曜の夜、いつも通り眼精疲労からくる頭痛だぜ~と思って普通に寝ようとしてたら急に喉に異物感がこみ上げてきて。

しかも吐いたブツが黒かったもんで「やばくね?」と思って気が気ではない私・・・

喉に残留物を感じて指をつっこむも吐くにも吐けず。

相変わらず酒を飲んでさっさと寝てる父親に言っても頼りにはならないだろうし、

「これ明日の朝生きてるかな・・・」(いつもの心配性が発動して色々な病気を調べまくったせい)と思いつつ頭痛に耐えながら寝ました。

 

翌朝、市販の薬が効かず相変わらず痛かったので近所の内科へ。

 

朝10時くらいにのそのそと行ったんですが、これまた歩くのがしんどい。

歩くごとに頭がグラグラするかんじ。

首から肩にかけての凝りのせいで右腕は痺れるし・・・

 

内科に着いて順番待ちをする時間もどんどん酷くなる一方で、

「こんな風邪で来てるようなお年寄りのせいで待たされる私っていったい何なの・・・ミジンコ以下かよ・・・これでまた一人貴重な若者の人材が死ぬな。」とか超絶ネガティブに。

他の患者さんは悪くありません。

 

色々あって、問診だけじゃ病気を特定出来ないので念のため中央病院に行って脳の検査とかしてもらうことに。

 

 

2.悪い時には悪いことが重なる

 

移動時間のしんどさも半端ではない。

 

無料シャトルバスが出てるっていう近くの病院に行ってバス待ちをするも、なぜか置いていかれた私。

「バスのりば」って張り紙の前でわざわざ15分前から待ってたのに、運悪く見つけてもらえず、奥の方に待機してたバスは無情にも発車・・・

泣きっ面に蜂とはこのことだぜ。

 

昔から引っ込み思案で周りをよく見ておかないから(by親)、要領が悪くてこういうタイミングの悪さを発揮するんですが、一人でしんどい時にこうも情けないことが起こると「またやっちまった」と思って泣けてきました。

病院の受付の人に怒ることも出来ないし、誰が悪いわけでもない・・・主に自分が悪かったので、超絶むしゃくしゃしました。

 

しかも、このバス事件の前に、昼ごはん代わりにコンビニで粉末スープを買うもお湯がない事件があったんですよ。

その時声を大にして言いたかったこと、

 

「お湯がないコンビニとかある??????」

 

あるんだな、これが・・・。過去の自分も無知だったわけですね。

 

 

気を取り直して駅前で別のコンビニ行ってお湯を貰おうとするも・・・閉業してた。

 

ええ~~~っ?!?!(磯野マスオ風に)

マップ検索して出てきた唯一のコンビニに裏切られるとは。

これだから各駅停車の駅は嫌いだよ。

東武は悪くないです!

 

というように、水曜日は半端じゃないくらいタイミングの悪い1日でした。

 

これはもう私が悪いとかの問題ではない。

いちいち自分を責めたり、気にしいな私に言いたい一言。

 

そういう日もあるよね!

(それもまたアイカツだよね!)

 

無料を逃して泣く泣く池袋からシャトルバスに乗ったわけだし、その分徳を積んだと思いたい。

 

 

3.検査結果は健康!?

 

で、肝心の検査結果は至って健康でした

痛くて大嫌いな血液採取もやって、大掛かりにCTも取っておきながら、こんなに死にそうなのに、原因はない???

考えられる要因は主にストレス????

私直前の火曜日まで元気でしたけど????

 

正直何か病気が判明した方が気が楽でした。

バイトも休んだし、予定ぶち壊しの1日にしておきながらこれか?と。

 

生き急いでたので、早く正常な生活にしたくて明確な直し方の分かるものが良かったんです。

 

冷静になった今だから言えるけど、病名が分かったとしても、治し方の基本はあっても100%ってないですよね。

生き急ぎすぎ。

 

今回分かったことは、体は健康でもストレスのせいで体を壊すことってあるんだよ。

ってところでしょうか。

南無三。

 

 

次、これを踏まえて自己反省会するよ!

 

 

1月12日(木)

1月12日(木)

 

今日はとてもいい日だった。人にとっては大したことがないつまらない一日だったかもしれないが、私にとっては紛れもなくいい日だった。これは自信をもって言えることだ。なぜ、自信があるのか?これは後々触れることとしよう。

 

 

まず、私のこれまでの生活を綴ろうと思う。なぜか?今とても自分で整理したい気分であるからだ。整理するのはとてもいい気分であることだ。こんな気持ちもほんの数日前まで知らなかったというからおどろきである。

 

人というものは元気な状態と元気でない状態の二種類に分かれると思う。

私は素人同然であるからして、詳しくはこれこれこういうことだからこのように定義できるのだ、などとは論ずることはできないが、ご容赦して頂きたい。

そう、元気でないというものは大雑把に言えば、まずお医者様にかかり「あなたは風邪ですね」とか「胃腸炎ですなあ」とか言われ薬を出されることがそれにあたる。しかし、これは分かりやすい事例である。昨今話題によく上る「セカンドオピニオン」という言葉があるように、医療というものはまだ進歩途中にあるからして、病名を伝えられてもそれが100%正しいとは言えないものである。これは諸説ある話題なので深い言及は避ける。

わたくしはお医者様を信頼しているし、実際にわたくしの腹が痛くて死にそうな心持であったところにお薬を処方して頂き助けられたこともあり、批判するつもりは毛頭ない。お医者様もたくさん勉強なさっているのだから、このわたくしも勉学に励まなければとますます身が引き締まる思いである。

 

話が逸れてしまった。

 

気を取り直して、わたくしが何を言いたいかというと、どうにも訳が分からず病名があるのかも分からずうんともすんとも毎日がつらいなあ、しんどいなあと思う「元気がない状態」もあるということだ。

現在ではうつ病自律神経失調症などという病名があるやうであるが、あえてここでは言及を避けたい。なぜか?これはわたくしの実体験に即したものを整理することが目的であるからだ。

 

前置きが長くなったが、これはわたくし自らが整理する目的であったからご容赦願いたい。わたくしは基本的に6歳の物心がつく前から生意気にも自らの頭の上で空想をするのが好きな性分であったから、こうして今も読者様がいらっしゃる前提で文を書いているものである。

 

その「元気のない状態」というものは、わたくしのもとにかれこれ6年ほど続いたのである。

 

これは今から振り返るとずいぶん長いものであったなあと思われる。これを読む(と想像している)方々がどう思われるのかは分からないが、実際に過ごしたわたくしにとっては長いやうで短いものであった。

これというのも、今となっては、登頂した時のやうに晴れ晴れとした気分で下の景色を眺め、客観的にものを考えることができるからである。上っている最中はどうにも苦しい。水が足りずにのどが渇く。水が欲しくても道中には水道など通ってやしない。嗚呼、連絡手段もない。どうしたことか。途中で休むとするか。といったやうに登山中はわたくしにはわたくしなりの考えがあったわけである。休みゞ上っていたらなんと6年。そういうものである。

登り切ってから考えると「あそこには小川が流れていた」などと至極冷静に現場検証でも開いて偉そうに言い切ってみせるものであるが、これはまた奇妙な話で、上っている最中に後ろから来たほかの登山客に同じことを助言されても「なるほど水を汲みに行ける」とは考えないのである。

代わりに考えることは、せいぜい「川に落ちないようにしなければ」くらいなものである。大喜利のやうにとんちを利かせる場でもないのだが、こういう時は素っ頓狂な考えに脳髄が浸っているから、えてして冷静な判断ができない。わたくしが経験した「元気のない状態」はこのようなものであった。

 

6年は長い。正直にここにいる読者様方に打ち明けると、暗闇のやうであった。動かなかったわけではない。わたくしなりに動いた6年間であった。しかし、先ほど述べたやうにわたくしは素っ頓狂な脳髄に支配されていたので、視界も暗闇に支配されたやうなもので、前だと思ってあるいてゆけば壁に当たり、右に行けばお皿を割り、といった調子なのである。

暗闇は怖い。わたくしは昔、中等教育を受けているときに妖怪というものに興味があり調べていたのだが、その中で人は暗い場所、自分の理解が及ばないものに本能的に恐怖を覚えるもので、それに理由を生み出すために妖怪や化け物を作り出す、といったことを学んだ。わたくしの「元気がない状態」にもこれが当てはまるといえるであろう。

暗くて一寸先も見えず、次に動けばどうなるかわからない、といった恐怖心が理性を麻痺させ、本能的に自らを守るために「化け物」を生み出す。その「化け物」がいるからわたくしは動けないのだ、「化け物」が今もわたくしを見張っている、という恐怖心が24時間わたくしをつきまとうのである。

 

「化け物」とは何であろうか。わたくしも今まさにそれについて書きながら思案中なのであるが、言い換えれば「失敗という足枷」であろうか。

 

元来わたくしは負けず嫌いで何事にも一番をとらないと気が済まないたちである。胸を張つて「わたくしは立派でございましょう」などとご近所様方ににこにことご挨拶がしたいくらいの気分である。・・・これは少し誇張したものであるが、こだわりが強く自らの理想を実現することに固執していたことは間違いがないであろう。そうであるからして、わたくしは失敗が許せなかったのである。

これまで失敗したことがなかったわたくしには、失敗したときの状態がさながら地獄のやうで息が詰まる思いであったのだ。それが恐怖を抱くきっかけになり、暗闇に入り込み、動けなくなった。

 

ここで、「暗闇なんて大げさな話、信じられないわ」とおっしゃる読者様方もおひとりお二人ございましょうが、それではあなた方に真っ暗闇に閉じ込められた状況を想像していただきたいのである。恐怖心がわかないであろうか?右を見ても左を見ても何も見えないのであれば、「動かないでおこう」と考えやしないであろうか?

暗闇が怖くないという方は、夜に動く習性を持つフクロウやヤマネコのようなもので、夜目がきかぬわたくしとは違う本能をお持ちなのであろう。恐縮であるが、わたくしにはフクロウの気持ちは分からない。

 

このやうに、恐怖心からの刷り込みでわたくしは「もう何をやってもわたくしは駄目だ」と睨みを利かせてくる「化け物」と24時間暮らすことになったのである。

 

「化け物」はどこにでもつきまとい、消えることはなかった。ひさびさに外出するときも「わたくしのことを皆が見ている」という疑心暗鬼(この慣用句を使ってみて初めて意識したことであるが、ここにも鬼=化け物が隠れているのだ)に囚われていたし、何か一言を口にするときでさえわたくしを制限したのである。あれを言えばこの人はこのやうに考えるだろうか、こう言えばわたくしのことを否定的に見やしないだろうか、などである。

気が狂ったような先入観だと思うだろうが、これはすべてわたくしの中で起こっていた「化け物」との対話である。このころにはもう以前の自分がどのやうに他人と会話を図っていたのかも分からなくなっていた。

 

人とコミュニケーションをとれないことは、大変な苦痛を伴うものである。この当時、状況は悪化するしかなかった。すべての人はわたくしを蔑むであろうと本気で考えていたのである。これも対話の不足からくるものであるが、まだこの時はさらなる自分の自尊心の崩壊を恐れ、動けなかった。

 

自尊心とはなんであろうか?わたくしは大真面目にこの議題について考えていた。いつからか、わたくしは自尊心の不足ということが原因なのではないかと思い至り、自尊心の回復をせねばならん、しかしジソンシンというものがてんでわからぬ、と奮闘していたのだ。

 

わたくしは大学にて哲学に関する講義を取っていた。そのなかでヤスパースの考えに触れる機会があった。触れた時期は、振り返るとまだ6年間の闇の最中であり、詳しく言えば去年の秋ごろであった。

大学1年生まで山をなんとか登ってきたわたくしは闇の中ながらも動いてみたのだが、やはりうまく続かずに登るのは諦め、夏季休暇という長い山小屋生活を経て、また登ろうと出てきた時分であった。

 

その時は「こういう考え方もあるものだなあ」とその他の勉学と同等に捉えていただけであったが、なんとなくその後も気になるお話であった。今考えなおすと自分が答えを欲していたのだと分かるのだが、そんなことは当時思いもしなかった。

自分を変えるきっかけは電流が走るだのなんだのと運命的なものを感じるという話が往々にしてある。わたくしはそういったこと、わたくしが経験していないことに懐疑的な性格であったため、信じていなかった。しかし、内心そういったわかりやすい記号でも発してくれないか、とは願っていたものである。

 

わたくしはそののち、つまり今日、このヤスパースの考えとの出会いに感謝しているし、これがわたくしの求めている答えだったのか、という歓喜に満ちている。

ここでひとつわたくしの実体験からの感想を言わせてもらうと、このヤスパースの考えがわたくしの転換のきっかけであると断言できるが、出会い頭には分からなかった。後々に考えてみればすべてに納得がいき、自然とはらわたがスッと落ち着く心持ちになる(これは本当に感じる感覚であるから驚きだ)。

これこそがわたくしの求めていた答えだったのだと、なぜかわかる、そういうものである。

 

わたくしが影響を受けたヤスパースの考え方をわたくしなりの解釈で述べさせて貰おう。

 

わたくしの結論としては自分が自分の存在を肯定することから始まると言える。

わたくしは先に挙げた暗闇の6年間、苦しい思いの中でひたすらに他者への意識が高まっていた。

よく、引きこもりは自分のことしか考えていないなどと論じられることがあるが、わたくしの経験に即してそれに答えると全くの逆であり、ヤスパースの言葉を借りて説明すると、限界状況に陥る(精神的に閉塞し、引きこもる)とますます他者への意識が高まる(どう思われているだろうか、誰かと話したい、誰かに認められたい…etc)のである。

ヤスパースナチス統治下でのホロコーストからの逃避という限界状況のなかでこのような考えに至ったと思われるが、わたくしの経験からも自然と同じことが考えられたのである。

 

ナチス統治下と比べてわたくしの経験など軽すぎる、考えが甘いとお考えの読者様方もいらっしゃると思うので、言わせていただこう。

そう考えること自体がナンセンスである。

 

まず、ヤスパースの理論からいくと、哲学とはまず自らの固有の存在への根源的問いから出発する。わたくしが「なぜわたくし=わたくしなのか?わたくしが存在している証明は何か?」と言って考え始めることが出発点ということだ。

ヤスパースはこのようにして自問自答することなしに、やたらに客観視したがって比較してみたり対象を探したりして哲学をすることが横行しているが、これは哲学の堕落だと言っていた。わたくしのこともよくわかっていないのに、外ばかり見て外のことを評価したがるのはてんでおかしい、ということである。全くもってその通りである。

 

今日、わたくしも含まれるが、世間には客観視・相対的に関連する物や、そのような基準で考える人があまりにも多いのではないか。哲学の堕落とまでは言わずとも、良いこととも言い切れない。わたくしが思い悩んだ原因は間違いなくそこにあるからである。

 

他者への渇望、意識はこの世界で生きるときに切り離すことは出来ないだろう。これはなんらおかしいことではない。生理的欲求と変わらないくらい、恥ずべきことではない。

しかし、他者を意識するよりも前に、唯一無二のわたくしの存在を肯定しなければ始まらないのだ。そもそも、「他」という定義を認めている時点で、「他」の基準となる不変の「ひとつ」を定めていることになる。

嗚呼、今までのわたくしの必死なあがきは大いなる矛盾を抱えていたのだ、とここで合点がいく。私は一人で自分の尻尾を追いかけっこしていたのだ。

 

ヤスパース曰く「自己忘却」の時代で、何を考えるかは大事になってくるだろう。わたくしはここで「自己回復」したと考えようではないか。こうして書き物をしつつ、「何を書こうか」などと考え事をしている時点で、わたくしはわたくしを認めないと始まらないのだ。

 

なにやら難しいことばかり書き連ねたので、整理になったのか、なっていないのかわたくしにもどうにも判別できないが、わたくしはとても満足している。

 

これが、わたくしの自信の理由である。

 

 

変わるきっかけに出会ってビビビなどとはしなかったが、わたくしは確かに今日一日で変わったのだ。「人は変わろうと思えば一日で変われる」「変わろうと思ったときに変われる」これは紛れもない真実である。

スピリチュアルなことを話そうとは思わないのだが、わたくしはこの新しい考えのもとに行動を開始してみたところ、上手く物事が好転していくことを実感しているのである。なぜか?自分を肯定することによって、他人からの評価が行動の基準となることが消え、冷静に次に為すべきことが分かってくるからである。

 

人は誰しも考える力を持っているとわたくしは確信している。自己について考えない人はいないであろう。大なり小なり自らについて悩む。すなわち、人は誰しも哲学者である。

わたくしにおいてはその山が大きすぎただけで、6年かかったという顛末なのであった。

 

人は皆哲学者。わたくしは6年間のキャリアを積んでここまで辿り着いた、ある種のステイタスなのである。これは恥ずべきことではないと、確立した一つの個性であるとここに記したい。

 

どうにも元気が出ないダンジョンの先駆者の攻略ガイドとしてここに記す。

暗闇の中のわたくしへ。

 

 

 

 

 

うつはひとつのキャリア

 

前の記事に書いたこと

  1. 周りの人に頼る
  2. 自分のことを周知する
  3. とりあえず話す

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

長々と書きましたがここまで前書きです。

前書きって何?

 

ごちゃごちゃ書いてしまったが、私はこれら↑を指標にすることでこの1週間生き延びている。
動き始めると案外上手くいく。環境を変えれば、周りに恵まれる。

私はこの1週間、他人によって生かされた。

哲学的に言えば経験論者のわたしは信じていなかったことであるが、縁は大事である。


うつ状態が小康状態も含めかれこれ6年ほど続いたことはわたくしの1つのキャリアである。

これを馬鹿にされる筋合いはない。

1つの企業に6年勤めたと思えば、立派であろう。
これが大学1年で良かった。まだ成人前である。

 

これを読んでいらっしゃる方の中にも年上の方がいるであろう。馬鹿にする気はないと申し上げたい。
今気付けて良かった。そう思うことが誰にもあると思う。

少なくともわたくしは、生きててよかった。

生きることを、つらくても何度も選択してきてくれたこれまでの6年の自分に感謝したい。

 

うつは個性である

うつを経験した者として、思ったことを発表していきたいし、これから生きようともがく様子もありのまま話したい。

だいたい、メンヘラってなんだよ。こっちはサバイバルやってんだぞ。

 

バイバル演習のひとつの攻略として適当に廊下の掲示板あたりに掲示しておこう。

掲示板は好きな人が好きな時に覗けるし。

攻略法なんて合ってたり間違ってたりする。ゲームをバグらせる方法もデマだったりするし。

うつが個性といえる世の中になれば生きやすくていいなと思うから、うつをよく分からない人にも見てもらえるよう、誰でも通る廊下に掲示しておこう。

そう思ってわたくしはこれからも生きていく。

 

時折また死にたくなったら、ここに書いた自分の教訓を思い出して生きていく覚悟だ。

 

明日はみんなが生きやすい世の中になりますように。