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うつだけど成人していいですか。

うつ状態からのサバイバル演習(仮)

価値観の180度転換って案外あるよって話

書きもの

 

こんばんは、狙ってるわけではないけど更新が夜に集中してます。

 

多分お風呂入りながら取り留めもないこと考えるのが習慣になってるので、そのお風呂プロセスを経て上手く文章化出来たぞ!っていう時に更新してるのかなと。

お風呂入るとき、他の人は何やってるんでしょうか?

私は主に反省会ですね。

あとは「あれやりたいな~」とか、この先の予定立てたり。

お風呂は力が上手く抜けててポンポン考えが浮かびます。

 

その反省会のせいでネガティブな時は余計落ち込むという

前回の更新の時に立ち直り方を覚えたので、今日は凹んでません!!!

 

その前回の教訓はこちら

 (最後の方に書いてあります)

utsudakedo.hatenablog.com

 

その立ち直りから色々派生して、今日は「どう考えればポジティブになれるのか?」をテーマに考え事をしていました。

 

立ち止まって動けなくなるのって、やっぱり大きな原因は頑固さだと思います。

 

ちなみに私は超頑固で拘りが強いです。(※これからはいい意味で生かしていこうと思っているよ!)

趣味第一で生きてるから一人の時間を邪魔されると怒るとか。

これもオタク気質の要因の一つかな・・・

 

で、ここから本題です。

その頑固さ、一回捨ててみない???

 

 

・・・いやいや、頑固だからこそ、今の考え捨てるとか考えられないんですけど。

 

 

そうだね~!そうだよね~~?!

日本全国の頑固なフレンズのみんな~~!

わかる~~~!!その気持ちわかる~~!!!

 

そこで未だにちょっと頑固なわたくしからの一言。

 

そういえば

この私でも価値観180度変わったことあったわ。

 

 

 

なんで今更思い出したのってくらい今更な話ですが、去年からKpopファンやってます。

日が浅いね?

それくらい急に「好き」の対象になったんです。

 

これまで、韓国の文化なんてハマってしまう訳がないと思ってました。

「え?韓国?整形でしょ・・・チャングンソク別にイケメンじゃないし顔怖いし・・・整形はks」とか

「韓国って強引だしわがままな国だな」とか政治的にもモヤッてたので

(※政治面での深い議論はここではしません)

韓国を好きになるはずがなかったんです。ほぼ100%。

 

なおさらKpopに関しては偏見が凄くて、中学生当時韓流ブームだったのでハマっている友達も多かったのですが、あまのじゃくな私は「絶対好きになってやるもんか」くらいの気持ちでした・・・

ちらっと見ただけの韓国俳優の顔だけで「全員ブス」と決めつけてたり・・・

 

今思うと、偏見って超無意味だし損しかない。

超悔しい。

 

損っていうのも、ブームだった当時(私の体感だと2012~2014頃)からハマっておけば、今の推しグループの全盛期を一緒に楽しめたのに!!!!!

新人から何かの曲で一気にブレイク!っていう醍醐味を一緒に駆け抜けられたのに・・・

アイドルと一緒に駆け抜けて一緒の景色を見られるっていうのがとてつもなくワクワクして好きなので超悔しい。

(詳しいアイドル観については後日語りたいと思います。)

 

 

重要なので繰り返し言います、偏見は損です

 

ここから得られた私の教訓としては、

ブームに乗るのって超楽しいし良いこといっぱい!!

です。

供給もどんどん出てくるから楽しんだもん勝ちです。

あとからブームを追いかけるのはしんどい。たいていの場合はブーム時ほど供給がない。

 

「ブームにすぐ乗る尻軽女どもめ」とお思いかもしれませんが、繰り返し言うように乗って損はないし、尻軽が嫌ならなりふり構わず全部に食いつかずに、何か少しでも心の琴線に触れたら乗るべきです。

その自分のアンテナの反応は疑ったら駄目だと思います。

それこそがインスピレーションってやつだと私は思います。

思わんところに自分の好きなものを吊り上げるためのレーダーが反応するもんです。

 

わたしは、自分の好きなものって増えたほうがいいと思ってます。

「好き」って気持ちは超ポジティブ。純粋で穢れがない。なんでもできる。

私の場合は好きになったら弾丸のようにそれに心血を注ぐし行動も早い。

何かを好きになることは罪ではない。いろいろな物事の原動力になるし、一番尊ばれるべき感情だと思います。

 

 

で、話がちょいと逸れたので戻します。

私の場合は思いもよらない形で「絶対に好きにならん」と思ってた韓国アイドルを「好き」になりました。

 

・・・こ、コペルニクス的転換~~~!!!!!

 

価値観の180度転換なんて普通に起こるんだなと思いました。

趣味の範囲だったので私自身見落としてましたが、頑固でもこういう価値観の転換ってマジであると思います。

人生わからんな。

 

今現在、頑固で悩んでても大丈夫。

今すぐに変われってわけじゃないんです。

「誰にでも変化が起こり得る」と思っとくと気が楽だし、一応その変化を受け入れやすいと思います。

 

頑固ゆえに悩みがちなフレンズのみんな~!

希望はあるから生きよ~!

 

 

絶対ハマらんと思ってた他国の文化にハマった私の感想をここに書いときたいと思います。

 

政治的にはいろいろな国がいろいろな理由で対立やすれ違い、問題を抱えています。

しかし、それだけが全てではありません。

私たち一般人は、こうやって今もその国家という大きな枠組みとはまた別の次元で日々活動していて、日々生きているわけです。

国家の枠組みを忘れろ、とかいう訳ではありません。そこまで能天気じゃないです。

しかし、その枠組みに囚われては私たちの日々の活動はとても味気なくなるし、伸びしろがなくなります。

別の次元では国家の枠組みがあるけど、それを飛び越えて自由に活動ができるのが一般人の強みではないですか?

文化と政治はまた別だと考えます。

文化は多様性から育まれ発展します。

「○○国だから」という偏見はつまらないと思います。

食わず嫌いは良くない。

政治面では良く思ってないとしても、その国に住む人々はまた私と同じように日々生きているだけなのです。

自由に生きよう!

そう思います。

 

枠組みではなくその人、その物事の良さに目を向け、評価したい。

「好き」は幸せだ。

 

 

明日も偏見を乗り越えて自分の価値観を柔軟に、そして経験を豊かにしていきたいと思います。

 

 

Kpopにハマって自分の音楽への興味も増えてチョ~~~楽しい!!!!!!

フレンズのみんな~~!!!人生たのし~~~!!!!

 

 

 

おととい死にかけた話②

 

前回のまとめ

ストレスのせいで急に死にそうになった

 

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

 

今回は前回の記事を踏まえたうえで反省会です。

 

 

死にかけて思ったこと

まず、血液検査の結果が健康的すぎ。

風邪とか引いたりしても変化するらしい白血球とか、内臓うんぬんが悪くても変化するらしい色々な項目、見せてもらいましたけど、全くもって健康。

腹立つくらい普通。

というか病院に来てる人たちの中で一番いい数値だった自信あるわ。

 

それでまず言えることは、ここ最近あまりにも献立とか栄養状況、睡眠状態に過敏になってたけどいらん心配だった。

 

病は気からとも言いますが、考えすぎはよくないのも確かですね。

今回、こうやって数値として分かったことだし、これからは少し気楽に構えていけそうです。

 

逆に考えれば、人生で一番適当になりがちな時期の大学生でここまで健康に気を使ってる私は素晴らしすぎるのでは?

 

 

でも、診断結果言われた時とてもショックだったんですよ。

考えられる原因はストレスだと????

これまでの私の努力をすべて否定されたような気分でした。

この気持ちはなぜなのか?

 

~回想入ります~

 

 

この1か月間の頑張り

 

正直、この1月から人間に本格復帰したばかりで「あれも」「これも」やること山積みだったわけです。

前回更新したときは丁度大学のテスト期間前くらいで、一気に心の中を整理してザーーーッと書き上げて超絶スッキリ!って気分で忙しくテストと戦って来たのです。

 

私はある程度やることが沢山あった方が、冷静に「次はこれ」とか「これを実現するにはこうするべき」とか浮かんできて効率よく動けるので、好きなタチだなぁと実感したのがこの1月下旬でした。

 

でもこの2月になって、何があったと思います?

春休みですよ。

長期休暇。

これこそ大学生の特権といっても過言ではない。

休みを利用して旅行に行ったり親睦を深めあう青春まっただなか。

もちろん私には縁がない話ですけど

 

 

しかし、忙しく1月を過ごしてきた私は同じくらいの忙しさを無意識に求めてました。

何よりもこれまで4年くらいうだうだしてた自分が許せなくて、早く自分を許せるレベルまで引き上げたかった。

 

だらしない自分に自分が一番腹が立ってて、

比べなくてもいいのに一般的な健康体の人と比べて、

まだ健康じゃない、まだ立ち直ってない、まだまともな人間じゃない・・・

 だから本当はじわじわ溜まってたはずのストレスにも気付かなくて。

 

 

今振り返ってみると、私、自分に厳しすぎひん??

(せめて明るく言いたくて慣れない方言を使いたがる)

 

現在カウンセリングに週一で通っておりますが、カウンセラーさんにも言われるくらいの厳しさ。

これも完璧主義の弊害ですが、目指す高みが高すぎて自分を追い込んでますね。

 

 

自分への厳しさの根底にあるのは何か?

もう、正直自分を責めるのはやめたい。ストレスの原因だと思うし。

なんでこんな厳しいの私は???

 

そこで考えられる結論として挙がったのは、

これまでの自分を恥ずかしく思ってるから。

 

これまで偉そうに記事書いて「うつはキャリア」とか言ってた人間がまだ言う?って感じですが、これに尽きます。

 

世の中でいう普通の人、普通の生活を問題なく送れている人、休まず仕事に行っている人、休まず学校に行っている人、そういう人にならなければ、という意識がずっと自分を追い込んでいます。

 

普通って何?と思われる話かもしれませんが、私にとって普通というものは渇望するものです。

 

これまで、わりと紆余曲折を経てきた19年でしたが、世間一般のレールからは大きく外れてるなぁという生活態度でした。

学校も休みがちだったし、不登校もあったし。

私から見たら毎日ちゃんと登校するってだけで半端じゃなく凄いことです。

 

休みがちで遅刻もしょっちゅうしてた自分が周りにかけてきた迷惑や、無責任な自分を思うと今も許せなくて、

「当時の周りの人に申し訳なかった」とずっと不登校時代の後ろめたさを抱えて卒業したので、そういった普通の人とあれこれ比べがちなんだと思います。

 

比べることがすべての元凶である。

やめような。

 

 

「比べる」癖からその先へ

じゃあ比べずにどうすればいいわけ?とお思いの皆さん、

私なりの答えは

少なくとも、外に出て活動するようになったんだから前より成長している。

と考えることです。

過去の自分と比べるわけです。

 

一度に求めすぎないこと

高みを目指そうとストイックすぎるのは、確かに私のいいところだけど、上を見すぎて足元おろそかになって転んだら元も子もない。

坂道を転がり落ちるようにどんどんネガティブになるし、体調も回復しなくなるだろう。

結局、自分が一番避けたい以前のように少しのきっかけで心が折れてすべて台無しにする無責任な姿になりかねない。

アカンアカン。

 

これから私が目指したいのは何かあっても立ち直れる私である。

 

立ち直るためには、足元見たっていいじゃん。

というか、現実世界で私たちみんな転んだ時って地面を見るし、地面に手をついて起き上がるよね?

 

いいじゃん、足元。

いいじゃん、足元固めていこうよ。

 

 

そもそも…

大学1年にしてここまでいろいろ考えたり悩んだり、なにより勉強する意欲あるのが素晴らしすぎるのでは?

やりたいこと、知りたいことが多すぎて、人の一生が短すぎるのではないかと最近思っている私です。

 

みんな自信もって生きよう。

 

 

あ~~水曜日に勢いのまま死なずに生きてて良かった。

死んでたら好きなアイドルのCDも買えなかった。

推しメンのトレカ引き当てたし、今日はなかなか良い日だったのでは?

 

 

今回学んだこと

  1. ストレスで体調を崩すことは本当にある
  2. そうそう体調を崩すことはないから栄養素の心配しすぎはやめる
  3. タイミングの悪い日は悪いことが重なるものなので仕方がない
  4. すぐに結果を求めない
  5. 自分のペースでじわじわ人間に復帰していければよい
  6. 何かあったら昔の自分から成長点を探す

 

おわり。

 

おととい死にかけた話①

 

世の中の悩める方々こんばんは、気が付けば前回の更新から随分経っていました。

ちなみに最後に書いたやつ↓

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

 

突然ですが、おととい、死にかけました。

死にかけたって言っても厳密には死んでないです。

血液検査してもCT撮っても超絶健康体でした。

でも、本当に具合悪くて。

これまで十二指腸潰瘍もどきを繰り返したり、電車内で腹痛を耐えた末に視界が白黒したこともある私ですが、今回は視界が白黒した時に並んで死ぬと思いましたね~

 

今回は死にかけた事件を振り返る、超誰得?な超絶ネガティブ忘備録なので飛ばしてもいいです。

 

1.火曜夜から水曜日の出来事

 

主な症状は頭痛でした。

 

火曜の夜、いつも通り眼精疲労からくる頭痛だぜ~と思って普通に寝ようとしてたら急に喉に異物感がこみ上げてきて。

しかも吐いたブツが黒かったもんで「やばくね?」と思って気が気ではない私・・・

喉に残留物を感じて指をつっこむも吐くにも吐けず。

相変わらず酒を飲んでさっさと寝てる父親に言っても頼りにはならないだろうし、

「これ明日の朝生きてるかな・・・」(いつもの心配性が発動して色々な病気を調べまくったせい)と思いつつ頭痛に耐えながら寝ました。

 

翌朝、市販の薬が効かず相変わらず痛かったので近所の内科へ。

 

朝10時くらいにのそのそと行ったんですが、これまた歩くのがしんどい。

歩くごとに頭がグラグラするかんじ。

首から肩にかけての凝りのせいで右腕は痺れるし・・・

 

内科に着いて順番待ちをする時間もどんどん酷くなる一方で、

「こんな風邪で来てるようなお年寄りのせいで待たされる私っていったい何なの・・・ミジンコ以下かよ・・・これでまた一人貴重な若者の人材が死ぬな。」とか超絶ネガティブに。

他の患者さんは悪くありません。

 

色々あって、問診だけじゃ病気を特定出来ないので念のため中央病院に行って脳の検査とかしてもらうことに。

 

 

2.悪い時には悪いことが重なる

 

移動時間のしんどさも半端ではない。

 

無料シャトルバスが出てるっていう近くの病院に行ってバス待ちをするも、なぜか置いていかれた私。

「バスのりば」って張り紙の前でわざわざ15分前から待ってたのに、運悪く見つけてもらえず、奥の方に待機してたバスは無情にも発車・・・

泣きっ面に蜂とはこのことだぜ。

 

昔から引っ込み思案で周りをよく見ておかないから(by親)、要領が悪くてこういうタイミングの悪さを発揮するんですが、一人でしんどい時にこうも情けないことが起こると「またやっちまった」と思って泣けてきました。

病院の受付の人に怒ることも出来ないし、誰が悪いわけでもない・・・主に自分が悪かったので、超絶むしゃくしゃしました。

 

しかも、このバス事件の前に、昼ごはん代わりにコンビニで粉末スープを買うもお湯がない事件があったんですよ。

その時声を大にして言いたかったこと、

 

「お湯がないコンビニとかある??????」

 

あるんだな、これが・・・。過去の自分も無知だったわけですね。

 

 

気を取り直して駅前で別のコンビニ行ってお湯を貰おうとするも・・・閉業してた。

 

ええ~~~っ?!?!(磯野マスオ風に)

マップ検索して出てきた唯一のコンビニに裏切られるとは。

これだから各駅停車の駅は嫌いだよ。

東武は悪くないです!

 

というように、水曜日は半端じゃないくらいタイミングの悪い1日でした。

 

これはもう私が悪いとかの問題ではない。

いちいち自分を責めたり、気にしいな私に言いたい一言。

 

そういう日もあるよね!

(それもまたアイカツだよね!)

 

無料を逃して泣く泣く池袋からシャトルバスに乗ったわけだし、その分徳を積んだと思いたい。

 

 

3.検査結果は健康!?

 

で、肝心の検査結果は至って健康でした

痛くて大嫌いな血液採取もやって、大掛かりにCTも取っておきながら、こんなに死にそうなのに、原因はない???

考えられる要因は主にストレス????

私直前の火曜日まで元気でしたけど????

 

正直何か病気が判明した方が気が楽でした。

バイトも休んだし、予定ぶち壊しの1日にしておきながらこれか?と。

 

生き急いでたので、早く正常な生活にしたくて明確な直し方の分かるものが良かったんです。

 

冷静になった今だから言えるけど、病名が分かったとしても、治し方の基本はあっても100%ってないですよね。

生き急ぎすぎ。

 

今回分かったことは、体は健康でもストレスのせいで体を壊すことってあるんだよ。

ってところでしょうか。

南無三。

 

 

次、これを踏まえて自己反省会するよ!

 

 

1月12日(木)

書きもの

1月12日(木)

 

今日はとてもいい日だった。人にとっては大したことがないつまらない一日だったかもしれないが、私にとっては紛れもなくいい日だった。これは自信をもって言えることだ。なぜ、自信があるのか?これは後々触れることとしよう。

 

 

まず、私のこれまでの生活を綴ろうと思う。なぜか?今とても自分で整理したい気分であるからだ。整理するのはとてもいい気分であることだ。こんな気持ちもほんの数日前まで知らなかったというからおどろきである。

 

人というものは元気な状態と元気でない状態の二種類に分かれると思う。

私は素人同然であるからして、詳しくはこれこれこういうことだからこのように定義できるのだ、などとは論ずることはできないが、ご容赦して頂きたい。

そう、元気でないというものは大雑把に言えば、まずお医者様にかかり「あなたは風邪ですね」とか「胃腸炎ですなあ」とか言われ薬を出されることがそれにあたる。しかし、これは分かりやすい事例である。昨今話題によく上る「セカンドオピニオン」という言葉があるように、医療というものはまだ進歩途中にあるからして、病名を伝えられてもそれが100%正しいとは言えないものである。これは諸説ある話題なので深い言及は避ける。

わたくしはお医者様を信頼しているし、実際にわたくしの腹が痛くて死にそうな心持であったところにお薬を処方して頂き助けられたこともあり、批判するつもりは毛頭ない。お医者様もたくさん勉強なさっているのだから、このわたくしも勉学に励まなければとますます身が引き締まる思いである。

 

話が逸れてしまった。

 

気を取り直して、わたくしが何を言いたいかというと、どうにも訳が分からず病名があるのかも分からずうんともすんとも毎日がつらいなあ、しんどいなあと思う「元気がない状態」もあるということだ。

現在ではうつ病自律神経失調症などという病名があるやうであるが、あえてここでは言及を避けたい。なぜか?これはわたくしの実体験に即したものを整理することが目的であるからだ。

 

前置きが長くなったが、これはわたくし自らが整理する目的であったからご容赦願いたい。わたくしは基本的に6歳の物心がつく前から生意気にも自らの頭の上で空想をするのが好きな性分であったから、こうして今も読者様がいらっしゃる前提で文を書いているものである。

 

その「元気のない状態」というものは、わたくしのもとにかれこれ6年ほど続いたのである。

 

これは今から振り返るとずいぶん長いものであったなあと思われる。これを読む(と想像している)方々がどう思われるのかは分からないが、実際に過ごしたわたくしにとっては長いやうで短いものであった。

これというのも、今となっては、登頂した時のやうに晴れ晴れとした気分で下の景色を眺め、客観的にものを考えることができるからである。上っている最中はどうにも苦しい。水が足りずにのどが渇く。水が欲しくても道中には水道など通ってやしない。嗚呼、連絡手段もない。どうしたことか。途中で休むとするか。といったやうに登山中はわたくしにはわたくしなりの考えがあったわけである。休みゞ上っていたらなんと6年。そういうものである。

登り切ってから考えると「あそこには小川が流れていた」などと至極冷静に現場検証でも開いて偉そうに言い切ってみせるものであるが、これはまた奇妙な話で、上っている最中に後ろから来たほかの登山客に同じことを助言されても「なるほど水を汲みに行ける」とは考えないのである。

代わりに考えることは、せいぜい「川に落ちないようにしなければ」くらいなものである。大喜利のやうにとんちを利かせる場でもないのだが、こういう時は素っ頓狂な考えに脳髄が浸っているから、えてして冷静な判断ができない。わたくしが経験した「元気のない状態」はこのようなものであった。

 

6年は長い。正直にここにいる読者様方に打ち明けると、暗闇のやうであった。動かなかったわけではない。わたくしなりに動いた6年間であった。しかし、先ほど述べたやうにわたくしは素っ頓狂な脳髄に支配されていたので、視界も暗闇に支配されたやうなもので、前だと思ってあるいてゆけば壁に当たり、右に行けばお皿を割り、といった調子なのである。

暗闇は怖い。わたくしは昔、中等教育を受けているときに妖怪というものに興味があり調べていたのだが、その中で人は暗い場所、自分の理解が及ばないものに本能的に恐怖を覚えるもので、それに理由を生み出すために妖怪や化け物を作り出す、といったことを学んだ。わたくしの「元気がない状態」にもこれが当てはまるといえるであろう。

暗くて一寸先も見えず、次に動けばどうなるかわからない、といった恐怖心が理性を麻痺させ、本能的に自らを守るために「化け物」を生み出す。その「化け物」がいるからわたくしは動けないのだ、「化け物」が今もわたくしを見張っている、という恐怖心が24時間わたくしをつきまとうのである。

 

「化け物」とは何であろうか。わたくしも今まさにそれについて書きながら思案中なのであるが、言い換えれば「失敗という足枷」であろうか。

 

元来わたくしは負けず嫌いで何事にも一番をとらないと気が済まないたちである。胸を張つて「わたくしは立派でございましょう」などとご近所様方ににこにことご挨拶がしたいくらいの気分である。・・・これは少し誇張したものであるが、こだわりが強く自らの理想を実現することに固執していたことは間違いがないであろう。そうであるからして、わたくしは失敗が許せなかったのである。

これまで失敗したことがなかったわたくしには、失敗したときの状態がさながら地獄のやうで息が詰まる思いであったのだ。それが恐怖を抱くきっかけになり、暗闇に入り込み、動けなくなった。

 

ここで、「暗闇なんて大げさな話、信じられないわ」とおっしゃる読者様方もおひとりお二人ございましょうが、それではあなた方に真っ暗闇に閉じ込められた状況を想像していただきたいのである。恐怖心がわかないであろうか?右を見ても左を見ても何も見えないのであれば、「動かないでおこう」と考えやしないであろうか?

暗闇が怖くないという方は、夜に動く習性を持つフクロウやヤマネコのようなもので、夜目がきかぬわたくしとは違う本能をお持ちなのであろう。恐縮であるが、わたくしにはフクロウの気持ちは分からない。

 

このやうに、恐怖心からの刷り込みでわたくしは「もう何をやってもわたくしは駄目だ」と睨みを利かせてくる「化け物」と24時間暮らすことになったのである。

 

「化け物」はどこにでもつきまとい、消えることはなかった。ひさびさに外出するときも「わたくしのことを皆が見ている」という疑心暗鬼(この慣用句を使ってみて初めて意識したことであるが、ここにも鬼=化け物が隠れているのだ)に囚われていたし、何か一言を口にするときでさえわたくしを制限したのである。あれを言えばこの人はこのやうに考えるだろうか、こう言えばわたくしのことを否定的に見やしないだろうか、などである。

気が狂ったような先入観だと思うだろうが、これはすべてわたくしの中で起こっていた「化け物」との対話である。このころにはもう以前の自分がどのやうに他人と会話を図っていたのかも分からなくなっていた。

 

人とコミュニケーションをとれないことは、大変な苦痛を伴うものである。この当時、状況は悪化するしかなかった。すべての人はわたくしを蔑むであろうと本気で考えていたのである。これも対話の不足からくるものであるが、まだこの時はさらなる自分の自尊心の崩壊を恐れ、動けなかった。

 

自尊心とはなんであろうか?わたくしは大真面目にこの議題について考えていた。いつからか、わたくしは自尊心の不足ということが原因なのではないかと思い至り、自尊心の回復をせねばならん、しかしジソンシンというものがてんでわからぬ、と奮闘していたのだ。

 

わたくしは大学にて哲学に関する講義を取っていた。そのなかでヤスパースの考えに触れる機会があった。触れた時期は、振り返るとまだ6年間の闇の最中であり、詳しく言えば去年の秋ごろであった。

大学1年生まで山をなんとか登ってきたわたくしは闇の中ながらも動いてみたのだが、やはりうまく続かずに登るのは諦め、夏季休暇という長い山小屋生活を経て、また登ろうと出てきた時分であった。

 

その時は「こういう考え方もあるものだなあ」とその他の勉学と同等に捉えていただけであったが、なんとなくその後も気になるお話であった。今考えなおすと自分が答えを欲していたのだと分かるのだが、そんなことは当時思いもしなかった。

自分を変えるきっかけは電流が走るだのなんだのと運命的なものを感じるという話が往々にしてある。わたくしはそういったこと、わたくしが経験していないことに懐疑的な性格であったため、信じていなかった。しかし、内心そういったわかりやすい記号でも発してくれないか、とは願っていたものである。

 

わたくしはそののち、つまり今日、このヤスパースの考えとの出会いに感謝しているし、これがわたくしの求めている答えだったのか、という歓喜に満ちている。

ここでひとつわたくしの実体験からの感想を言わせてもらうと、このヤスパースの考えがわたくしの転換のきっかけであると断言できるが、出会い頭には分からなかった。後々に考えてみればすべてに納得がいき、自然とはらわたがスッと落ち着く心持ちになる(これは本当に感じる感覚であるから驚きだ)。

これこそがわたくしの求めていた答えだったのだと、なぜかわかる、そういうものである。

 

わたくしが影響を受けたヤスパースの考え方をわたくしなりの解釈で述べさせて貰おう。

 

わたくしの結論としては自分が自分の存在を肯定することから始まると言える。

わたくしは先に挙げた暗闇の6年間、苦しい思いの中でひたすらに他者への意識が高まっていた。

よく、引きこもりは自分のことしか考えていないなどと論じられることがあるが、わたくしの経験に即してそれに答えると全くの逆であり、ヤスパースの言葉を借りて説明すると、限界状況に陥る(精神的に閉塞し、引きこもる)とますます他者への意識が高まる(どう思われているだろうか、誰かと話したい、誰かに認められたい…etc)のである。

ヤスパースナチス統治下でのホロコーストからの逃避という限界状況のなかでこのような考えに至ったと思われるが、わたくしの経験からも自然と同じことが考えられたのである。

 

ナチス統治下と比べてわたくしの経験など軽すぎる、考えが甘いとお考えの読者様方もいらっしゃると思うので、言わせていただこう。

そう考えること自体がナンセンスである。

 

まず、ヤスパースの理論からいくと、哲学とはまず自らの固有の存在への根源的問いから出発する。わたくしが「なぜわたくし=わたくしなのか?わたくしが存在している証明は何か?」と言って考え始めることが出発点ということだ。

ヤスパースはこのようにして自問自答することなしに、やたらに客観視したがって比較してみたり対象を探したりして哲学をすることが横行しているが、これは哲学の堕落だと言っていた。わたくしのこともよくわかっていないのに、外ばかり見て外のことを評価したがるのはてんでおかしい、ということである。全くもってその通りである。

 

今日、わたくしも含まれるが、世間には客観視・相対的に関連する物や、そのような基準で考える人があまりにも多いのではないか。哲学の堕落とまでは言わずとも、良いこととも言い切れない。わたくしが思い悩んだ原因は間違いなくそこにあるからである。

 

他者への渇望、意識はこの世界で生きるときに切り離すことは出来ないだろう。これはなんらおかしいことではない。生理的欲求と変わらないくらい、恥ずべきことではない。

しかし、他者を意識するよりも前に、唯一無二のわたくしの存在を肯定しなければ始まらないのだ。そもそも、「他」という定義を認めている時点で、「他」の基準となる不変の「ひとつ」を定めていることになる。

嗚呼、今までのわたくしの必死なあがきは大いなる矛盾を抱えていたのだ、とここで合点がいく。私は一人で自分の尻尾を追いかけっこしていたのだ。

 

ヤスパース曰く「自己忘却」の時代で、何を考えるかは大事になってくるだろう。わたくしはここで「自己回復」したと考えようではないか。こうして書き物をしつつ、「何を書こうか」などと考え事をしている時点で、わたくしはわたくしを認めないと始まらないのだ。

 

なにやら難しいことばかり書き連ねたので、整理になったのか、なっていないのかわたくしにもどうにも判別できないが、わたくしはとても満足している。

 

これが、わたくしの自信の理由である。

 

 

変わるきっかけに出会ってビビビなどとはしなかったが、わたくしは確かに今日一日で変わったのだ。「人は変わろうと思えば一日で変われる」「変わろうと思ったときに変われる」これは紛れもない真実である。

スピリチュアルなことを話そうとは思わないのだが、わたくしはこの新しい考えのもとに行動を開始してみたところ、上手く物事が好転していくことを実感しているのである。なぜか?自分を肯定することによって、他人からの評価が行動の基準となることが消え、冷静に次に為すべきことが分かってくるからである。

 

人は誰しも考える力を持っているとわたくしは確信している。自己について考えない人はいないであろう。大なり小なり自らについて悩む。すなわち、人は誰しも哲学者である。

わたくしにおいてはその山が大きすぎただけで、6年かかったという顛末なのであった。

 

人は皆哲学者。わたくしは6年間のキャリアを積んでここまで辿り着いた、ある種のステイタスなのである。これは恥ずべきことではないと、確立した一つの個性であるとここに記したい。

 

どうにも元気が出ないダンジョンの先駆者の攻略ガイドとしてここに記す。

暗闇の中のわたくしへ。

 

 

 

 

 

うつはひとつのキャリア

はじめに

 

前の記事に書いたこと

  1. 周りの人に頼る
  2. 自分のことを周知する
  3. とりあえず話す

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

長々と書きましたがここまで前書きです。

前書きって何?

 

ごちゃごちゃ書いてしまったが、私はこれら↑を指標にすることでこの1週間生き延びている。
動き始めると案外上手くいく。環境を変えれば、周りに恵まれる。

私はこの1週間、他人によって生かされた。

哲学的に言えば経験論者のわたしは信じていなかったことであるが、縁は大事である。


うつ状態が小康状態も含めかれこれ6年ほど続いたことはわたくしの1つのキャリアである。

これを馬鹿にされる筋合いはない。

1つの企業に6年勤めたと思えば、立派であろう。
これが大学1年で良かった。まだ成人前である。

 

これを読んでいらっしゃる方の中にも年上の方がいるであろう。馬鹿にする気はないと申し上げたい。
今気付けて良かった。そう思うことが誰にもあると思う。

少なくともわたくしは、生きててよかった。

生きることを、つらくても何度も選択してきてくれたこれまでの6年の自分に感謝したい。

 

うつは個性である

うつを経験した者として、思ったことを発表していきたいし、これから生きようともがく様子もありのまま話したい。

だいたい、メンヘラってなんだよ。こっちはサバイバルやってんだぞ。

 

バイバル演習のひとつの攻略として適当に廊下の掲示板あたりに掲示しておこう。

掲示板は好きな人が好きな時に覗けるし。

攻略法なんて合ってたり間違ってたりする。ゲームをバグらせる方法もデマだったりするし。

うつが個性といえる世の中になれば生きやすくていいなと思うから、うつをよく分からない人にも見てもらえるよう、誰でも通る廊下に掲示しておこう。

そう思ってわたくしはこれからも生きていく。

 

時折また死にたくなったら、ここに書いた自分の教訓を思い出して生きていく覚悟だ。

 

明日はみんなが生きやすい世の中になりますように。

 

 

解決策を考える

はじめに

 

前の記事で書いたこと

  • うつになりやすい人=優しい
  • 自分の思考の癖を認めて生かす

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

 

正直な話、

ごちゃごちゃ考えることはわたくしもやめたい。夜中は考え込みすぎて眠れない。寝させてくれ。
「進めばいい」と思っていても「調子に乗りすぎて転けたらどうしよう」。コレである。


ここでの思いついた解決策は「周りの人に頼る」。

 

 

解決策1.周りの人に頼る

一般の方には「今更か」と思われるだろう。

しかし、わたくしは元来人に頼ることが出来ないタチであった。


小さい頃からわたくしは自画自賛ながら出来が良い子供であったし、大抵のことは教えられればすぐにこなした。

教育方針として自分のことは自分でこなすことを求められたし、わたくしの性格も負けず嫌いであるから常にトップを目指してきた。
冷静に考えれば、まあ親に守られていたのは事実であるが、わたくしにはそんな事感じられなかった。

 

 

1-1.自分のことは自分でやるのか?

大学生にもなれば、当たり前のように自分のことは自分でやることが求められる。

しかし他人に頼ることを覚えずに19歳になったわたくしは、文字通り1人でやろうとし、挫折をした
友達を作ることも出来ず、講義のことを訪ねるのも休みがちなクズ*1から話かけられて相手に嫌だと思われたらどうしようと気にしてLINEを送ることも出来ない。
LINEを開くことさえ怖かった。

 

 

1-2.うつ状態の思考


うつ状態の時のわたくしは、

「自分が認められていない」

→「みんなわたくしを否定してくる」

→「認められたいだけなのに」

「なぜわたくしに優しくしてくれないのか?」
といったように、他人からのgiveがまず施されないことに内心憤っていたし、giveがなければ動くことが出来なかった。

*2


うつ状態からの脱出を他人からのgiveで助けてもらえないかと本気で考えていたのである。

うつ状態の本気は至上の本気である。これこそが世の中の真理と信じて疑う他ない。



他力本願であるが、まあこれもうつの醍醐味? 不謹慎厨ごめんなさい。

というか、自ら動く気力も湧かないので、これは仕方ないと諦める他ない。諦めてください。



元気が出た後は、うつ状態の時に出来なかったことが驚くほど普通に出来る。これは断言できる。

掃除とかお風呂に入ることも出来ます。

 

 

1-3.じゃあどうやって頼るのか?

先に挙げた「周りの人に頼る」解決策の説明に入ろう。

わたくしは他人からのgive 先に ないと動けないと思い込んでいた。

しかし、結論は反対である。自分からも他人と関わろうとしなければならない。

 

*1:当時、わたくしは大勢の人がいる場所にいくのが苦痛で講義を欠席しがちであった。

*2:ここでのgiveとは、他人からの無償の愛や施しといった意味と定義します。無償であるということが重要です。うつ状態では自分から他人に返すことなんて出来ませんし、考えられません。

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初めまして。

はじめに

突然ですが、ブログ始めました。

 

ブログのタイトルは仰々しく「いいですか」となっているが、わたくしダメと言われても成人するつもりだ。

この「いいですか」という言葉には、わたくしがこれまでうつ状態だった時の心境を端的に言い表わせる素晴らしい言葉であったので、採用させてもらったという次第である。

 

 

0.成人するにあたって

わたくしは19歳である。
今年の夏には誕生日が来て20歳、来年には成人式がある。
大学に通っており、今年は2年次に進む。

ブログを書くにあたり、自分の事情をまず第一前提に書こうと思ったのだが、ネットに個人情報を晒すのも怖いのでこの辺りに留める。
まあ、この肩書きを見ると「成人手前だし立派な大人の仲間入りですね」と思われるが、わたくしはまだまだ自分が未熟であると毎日感じている。

わたくしには兄がいるのだが、その兄が活発にひょいひょいと足を運ぶタイプなので、それに比べて自分は割と友達も少なく、至らないなぁなどと、兄のように「大人」の括りに入るのが怖い

しかし、わたくしは成人する決意は固い。
怖いと感じるわたくしの素直な気持ちも認めた上で、成人する。

だいたい20歳で成人なんて形式的なものであるから、いっそのこと成人式に出なくたって罰せられるわけでもない。そもそも誰が成人のボーダーを決めた?法律である。

わたくしは法律を変えようとか、成人と決めるボーダーの改定のために「18歳がいい」だの「16歳」だのとここで議論するつもりは毛頭ない。
そのボーダーに囚われること必要ないと言いたいのだ。

ここからはわたくしの経験からの持論を展開させて頂きたい。

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