学生のしんどさも大人のしんどさと変わらないだろという話
こんにちは、お久しぶりの更新です。
はてなブログって前回の更新から一か月過ぎると「そろそろ書いてみませんか?」というメールが届くシステムなんですが、正直・・・
うっとうしいわ
記事の更新頻度なんて、毎日書く人もいれば一か月二か月にまとめてドカッと書く人もいるだろ?!?!?!っていう…
ま、それをいちいちはてなブログに怒る気もないのですが、メールボックスを3日に一回くらい確認する私としては8件くらい入ってる通販のおススメメールと並んで邪魔なメールの一つになってしまいますw
昔から催促されるのが大嫌いなタチなもので…
はてなブログたん(勝手に脳内で擬人化)は好意で「そろそろ書きたくなったでしょ?♡」って勧めてくれてるんだろうけど…
ごめんね♡
メールはゴミ箱入れといた
逆に、毎日更新してる人を見ると尊敬します。
記事書く体力が残ってるなんて、虚弱体質の私には無理です。
切実に一日の時間と体力のやりくりの仕方を教えてほしいです。
勢いで書き始めて飽きてやめた下書き2件くらいあるので免罪かな?
ここから本題
今日重い腰を上げて書き始めたのは、二日かけて考えが纏まったからです。
タイトル通り、学生のつらさも社会人のつらさも比べないでほしいという話。
このブログにも再三書いてるのでご存知の方もいらっしゃるでしょうが、中学二年の時に1年近く不登校をやってました。
(高校卒業まで延々と休みがちでしたw)
不登校やった奴なりに当時を振り返りつつ、書き連ねていくのでよろしくお願いします。
ざっと目次
- 私が不登校になったきっかけ
- 「所属先がしんどい」に学生も社会人もない
- 環境の変化についていけない時は自分で猶予を与えよ
- 「しんどさ」に学びを見出すのは後からでよい
- 「生きるか死ぬか」決死の判断の機会が遅いか早いか
1.私が不登校になったきっかけ
自分のことを振り返りつつ、しかも失敗点について大々的にネットに書き連ねるなんて正気か?!と私自身も思いますが、
もしかしたら、今不登校で悩んでる人や死にたいと思ってる学生がこれを読んでいるとしたら、
もしこの記事が参考になったなら、
そう思って大大的な概念的公開オナニーを始めたいと思います。
そうじゃない人も気軽に読んでください…
そもそも文章なんて全部概念的オナニーの結晶だろ
私が不登校になったきっかけは、転部して入った部活でした。
改めてここで断っておきたいのですが、当時所属していた先輩方や後輩さんをこの記事を書くことで貶めたい気持ちは一切ありません。
しかし、当時の私には部活がつらかった。
中一で所属していたゆるいバレーボールの部活を離れ、宝塚気分で適当に入ってみた演劇部が想像以上にスパルタで、事前知識を一切持たずに入った部活の実態についていくのに必死でした。
マナーに厳しいとか事前に何も聞かされていないのに(完全に物見遊山気分で入部したせい)、座っただけでマナーを1から10まで注意され、どうやら伝統らしい形式を見よう見まねで自分から覚えなければならず…
同輩は後輩の指導で手一杯だったので、私が聞ける雰囲気でもなく、後輩より後になってレポートの書式を知るとか多々ありました(笑)
あとは朝練の集合時間のとんでもない早さ、朝練での筋トレメニューがつらすぎて朝ご飯を吐いたり、気が遠くなったり…
スパルタぶりは運動部に匹敵するくらいだったんじゃないかと思います。
この部活で過ごしてきた私より前の代の先輩方や、今過ごしている後輩さんたちを思うと「全員スーパーマンでは?」と心の底から尊敬します。
新しい環境ですべてのことに当時精一杯だった私が一番しんどかったのは、先輩からの呼び出しでした。
私は朝練に寝坊するわ欠席するわ劣等生だったので、先輩からしたら私以上に腹の立つ後輩はいなかったのではないかと思います。
今から考えると「劇を作り上げていくうえで、欠員が出たら練習が回りにくくなり予定通り完成まで進めない」ということも分かるし、責任の取り方も分かります。
しかし、当時はまだ中二でした。
なんでも出来て不自由せず天狗だったわたしのケツが青かったのもありますが、何も知らずゆっくり教えてもらえない状況で、ドンドン追い込まれていきました。
まだ若い人が何か出来なくても急かさず見守ってほしい。
今、部活に馴染めなくて先輩に色々言われている人も、焦らないでほしいです。時間が経てば慣れます。
時間が解決する問題も、あります。
お腹をすぐに下す癖がついたのもこの頃からです。
一度メンタル面から体調を崩すと癖がついてしまうので、今、なにかしら精神的な問題で体を崩してるなと思い当たる人は、なるべく早くお医者さんにかかり、きちんとした処方を受けて早め早めに治していってください。
(経験則として、市販の薬で自己流で治そうと思ってもたいていの場合うまくいきません。)
お願いします。
部活の詳しい内情はさて置き、上手くいかなくなってから徐々に体にも異常が出てきました。
若いので朝練のハードな筋トレにも徐々に慣れていきましたが、体の奥、内臓は正直なのでそのうちにガタが来ます。
私の場合は、部活のことを考えただけで苦しくなったりお腹を壊したり、朝練に間に合うために電車内で腹痛を我慢し続けた結果、視界が白黒して倒れる寸前までいったこともあります。
我慢は良くないです。今何かしらおかしいと思った人にはすぐ休んでほしいと思います。
2.「所属先がしんどい」に学生も社会人もない
上に書いてきたように、色々な要因から所属先の部活にしんどさを覚え始めて結局体を壊し、朝起きるのがつらくなり不登校ライフを始めた私ですが、世の中の不登校の要因はいろいろあると思います。
私は部活という括りでしたが、人によってはクラスという括りであったり、仲良しグループであったり、はたまた学校であったりすると思います。
これが、当事者が社会人になると会社や勤務先という括りになるわけです。
最近は社会人の方々がブラック企業などの様々な勤務先の待遇の悪さゆえに鬱になり退職せざるを得なくなったり、最悪の場合自殺してしまうニュースが後を絶ちません。
学生のいじめゆえの自殺も問題になっています。
社会人の方々の問題は、労働状況の待遇改善などの取り組みが始まっていますし、うつによる休職やその後の転職など、うつの衆知によって社会の受け止め方も柔軟になってきたように感じます。
でも、学生はどうでしょうか。
学生というのは極めて特殊で、閉鎖的で、融通の利かない環境だと私は思っています。
少し休むだけで授業についていけなくなるし、宿題が何かも分からないし、クラスからも浮いた存在になるし、長期間休めばなおさらです。
会社の休職はだんだん受け入れられてきているように思えますが、学校で休学や退学なんてしたらキャリアはゴミくず同然だし、周りからの目は冷たいなんてもんじゃありません。
不登校時代に「せっかく進学校にいったのにね」と近所の目が苦しくて仕方ありませんでした。
近所で一人進学校にいったことは、逆に失敗したときに注目されざるを得なくて、進学校には何か陰口に耐えねばならん宿命でもあんのか?ってくらい謎でしたね。
もし今自分が不登校で、どこにも受け入れてもらえず、誰にも必要されていないと絶望している人がいたら、どうか絶望しないでほしい。
環境の特殊性のせいでもあるから、どうか気にしないでほしい。上手くいかないのは全部あなたのせいではない。あなたは、必ず、生きている価値のある人です。
所属先がつらいのに大人も子供もないです。
つらいかどうかの尺度はその人本人に委ねられているのだから、他人が判断するのはおかしいです。
私は、「こんなことも出来ずに、それくらいのことで休むな、会社には毎朝出勤しないといけないんだぞ、社会に出たらやっていけないぞ、大人になったらどうするんだ」
と言葉の暴力で殴られ、「つらい」をなかったことにされてきました。
今現在不登校の人も、こうして大人から否定されたことが一度や二度あるのではないですか?
大人から言われる言葉は残酷です。
正論で子供を殴ってきます。
ただ、その正論が時として子供を殺すことがあると知っていてほしい。
だいたい、なんのための「子供」だと思ってるんですか?
ここから学んで大人になっていくためではないですか?
そうやって正論を吐けるようになったということは、大人のあなたも何かしらの経験を経てその考えを身に着けたのではないですか?
その経験をしたのはいつですか?
子供のころのあなたは出来ていましたか?
学生の「つらい」にも目を向けてほしい。
そう思います。
社会人の方が会社でうつになって死にたくなることと、学生が学校でうつになることの重みは変わらないと思います。
毎日生きるか死ぬか、言葉通り命かけて悩んでる人を区別しても仕方ないですよね。
私は「生きるか死ぬか」本気で悩むことは誰にでも人生に一度は起こることだと思います。
社会人になって悩んでいるひとは、学生時代にはその機会がなくて、社会人でその機会が訪れた人。
学生のうちに不登校などの理由で悩んでいる人は、たまたま早めにその機会が訪れた人。
生きるか死ぬか本気で悩むから、だからこそ、その試練の時に得たものが今後の人生に活かされていく。
人生の転機とでも言うんでしょうかね。
それゆえに、学生時代に今不登校で悩んでいる人は未知の可能性があると思います。
学生のうちから生死に関して深く悩むなんてなかなか無いですよ。
今回これだけ悩んだことは、今はしんどくても、悩みが解決した後は「解決する力」として身につきます。
「生死の悩み」を解決した後なんて、なんでも解決できますよ。
人間の生死以上に深い問題なんてあります?どれもちっせ~モンですよ。
「生きるかどうか迷ってたあの時に自分は一度死んだ」くらいに開き直れるようになると、あの時結局生きることを決断してくれたお陰で生きているという事実に感謝するようになります。
今死にたい気分の人も自分を責めないでくださいね。
この記事を読んでいる人の中で、過去に死にたかった人も、過去のあなたが生きることを選び取ってくれたことに感謝したいと思います。
生きていてくれて、私の記事を読んでくれて、ありがとう。
書いてたらバイトの出勤時間が迫ってきたので、ここで一度切ります!
続きはまた後日~!
- 私が不登校になったきっかけ
- 「所属先がしんどい」に学生も社会人もない ☜イマココ!
- 環境の変化についていけない時は自分で猶予を与えよ
- 「しんどさ」に学びを見出すのは後からでよい
- 「生きるか死ぬか」決死の判断の機会が遅いか早いか