取り急ぎ、死にたい
こんばんは、前回の記事の続きを書くつもりでしたが、自分の中で色々あって書けそうにありません。
というか、前回の記事は勢いで書いていたので、一応読み返してみたら、予想通り後半が目次を無視した進行になっていました。
目次の最後に書くつもりのテーマが、前回の記事の最後にもう入ってました。
とりあえず言いたいテーマは完結したので、続きをまた書き直すかどうかは私の気分次第ということでよろしくお願いします。
今はどうしても取り急ぎ死にたい気分というか、
こんな風に謝罪記事書くくらいだから元気だろと思われるかもしれないのですが、
もし死ぬなら記事を中途半端に投げ出す真似は出来ないと思ったからこうして謝罪してみたというか、
こうして冷静に文章を打てるくらいに落ち着いた気持ちで考え直してみても、どうしても死にたくなってしまうのです。
いや、解決するためには死ぬしかないのではないかと思われるのです。
死にたい気持ちを他人に発信することはこれまであまりしませんでした。
不幸に溺れた自己憐憫の気持ちを他人に押し付けるなんて烏滸がましすぎるし、話しかけた相手が現在幸せだったら良い気分を害して申し訳ないし、既に相手がつらい状況だったら不幸自慢なんてしたくないし…
しかし、どうにもこうにも考えても結論が出ないので、こうして誰かに相談したい気持ちを抑えることが出来ず、
ネットという場所に頼ってみてしまったのです。
誰かがみてるかも分からないし、誰も見てないかもしれない。
いっそ誰にも見て欲しくないと思うけれど、心の底からの気持ちを死ぬ前に1度くらい見てほしい。
そういう気持ちです。
自殺する方が遺書を書きますが、こういう気持ちなのかなぁとふと思いました。
誰にも迷惑をかけずに静かに消えたいけど、最後に、ひと足掻きだけ、許されるのではないだろうか。
ネットに公開記事として出すというリスクが高すぎる行為ですが、これまで散々我慢をさせられてきたので、最後に、私も両親に対してひと足掻きだけしてみたい。
両親に対する虚しい抵抗といえば、不登校も1つの無言の抵抗であったのかとも思われます。
本当は、私はずっと両親に受け入れて欲しかった。
不登校でも、許して欲しかった。不登校の私でも受け入れて欲しかった。
朝になると起きろと怒りに来る父親と母親が怖くて仕方なかった。
不登校をきっかけとして、これまで水面下であった家庭内のぎこちなさに火が付いて、表立って私の話題で両親が喧嘩したりすることが増え、
時間を遡って教育のやり方についても2人の考えの差が口論になり、育て方を間違えたのは母親のせいだと怒る父親に、進学校に無理に行かせたのが悪かったと言われ、
仲の悪い両親に兄も家にいづらさを覚えて申し訳なかったし、
激しすぎる喧嘩の日は涙が止まらなかったし、父親が殴るんじゃないかと思うと喧嘩を無視して眠ることも出来なかったし、
中3から学校に行くようになってからも、時々起こる喧嘩が丁度部活の大事な時期と重なって精神が参ったし、
喧嘩中に離婚だ!とか言う両親の一言に振り回されたし、
私は何が正しかったのか分かりません。
家の歪みを表面化させたきっかけが自分自身であることが申し訳なく当時も毎日死にたいと思っていたし、今も消えたいです。
長く書いてしまいましたが、要は両親の不仲がどうしても治らないのです。
自分のことは自分でやれるようになって、
この春休みに沢山成長して、
実際前向きに自分を変えてきたのに、
自分の長所を見つけて自分を自分で認めてあげることも出来るようになったけど、
両親の不仲さは変わる気配がないのです。
自分のことは思うように良い方向へ変えられるけど、他人のことは上手く変えていける気がしません。
そして明日は私の成人式の前撮りの日です。
良い機会だし家族が集まって家族写真も撮ってしまおうと母親が言い出したので、父親と兄も来ることになりましたが、
連絡不足で段取りが上手くいかなくてすれ違う両親に、
なんで連絡くらいロクに出来ないのか不思議で仕方ありません。
良い大人なのに、私には甘えることを許さず育ててきたくせに、なんで自分には甘くて、相手への不満を隠そうとせずに、我を通したがって、連絡が不足し、
主役であるはずの娘が気を揉まなければならないのか。
私は自分が主役の日でさえ、何も考えずに主役を楽しむことを許されないのでしょうか?
私がとても小さいことで勝手にイライラしているみたいで、自分が嫌になってきました。
イライラしたくないのですが、家族のことになるとどうしても取り乱してしまいます。
私はどこかおかしいのでしょうか?
自分が動かずに家族に期待しすぎているのでしょうか?
これまで家族のためを思って、私は真面目に素行も良好に生きてきたのに、
遊ばずにちゃんと家に帰ったし、心配はかけないようにしたし、青春を返上して、
父親が気分を害さないよう常に顔色を伺って、
家族がこれ以上バラバラにならないよう家にキチンといたのに、
兄は家を出て行くし母親は相変わらず勝手だし、父親を逆撫ですることを言うし、
私だけ家に縛られてアホだったのではないかと思うようになりました。
実際この2月3月実家を離れて暮らし、ほぼ1人で動き回って、
母親にこれまであなたは無理と言われていたこともこなせたし、
自分は思っていたより引っ込み思案ではなかったし出来ることも沢山あったと気付きました。
家族と接さない方が心が安定していて、
私は家族と縁を切った方が成功するのではないかと思えてきました。
明日の前撮りの写真も1人で撮りたい。
ほんとうは私は家族が嫌い。
ほんとうは私は化粧が好き。
ほんとうは赤い口紅が好き。
ほんとうはおしゃれが好き。
ほんとうはモード系が好き。
ほんとうは家出してみたい。
ほんとうは夜遊びしてみたい。
ほんとうは誰かに甘えたい。
ほんとうは私は1人で出来る。
ほんとうは私は自由が好き。
化粧をしていて母親に良い顔をされないとき、赤い口紅を揶揄されたとき、私の心は実は死んでいたのではないか。
これまで、両親に否定されてきたことは、
ほんとうの私の自由や可能性を潰されていたのではないか、
バイトを始めて、手放しで褒めてくれる人と出会って、私は思ってるより出来ることがたくさんある人間なのではないか、
出来ないと思い込んでいただけではないか、
家族と縁を切った方が自分は幸せなのではないか、
冷静に何度考え直そうと思っても両親を責めるようなトンチンカンな無責任な考えばかりが頭を巡るのです。
これも全部、子供ゆえののワガママなのか。
屁理屈をこねるのが得意と昔から親に怒られてきたけど、これも屁理屈なのではないか、
何が正しいのか分かりません。
前向きに生きることが出来るようになったつもりだったけど、明日の前撮りがつらいです。
取り急ぎ、死にたい。