うつだけど成人していいですか。

うつ状態からのサバイバル演習(仮)

【覚書】専門智を頼ろう

 

 

こんばんは。

今少し急に思いついたので更新しています。

 

今日の記事で一番伝えたいのはタイトル通り「専門智に頼ろう!」ということです。

この言葉に始まり、この言葉に終わると思います。

 

 

 

というのも、さっきちょうどYouTubeでとある精神科医の方のチャンネルを見ておりまして

この方の解説とても分かりやすくて好きです(ただのファン故の宣伝)


うつ病とは違う? 適応障害について、症状から治療法まですべて説明します【精神科医・益田裕介/早稲田メンタルクリニック】 

 

そして、私はネットのコンテンツは必ずコメント欄を見るのが趣味の変人なんですけど

(この間、バズったツイートのリプ欄絶対全部見るんだよねと言ったら、相方は『よく分からん』みたいなこと言ってました。みんな意外と見てないのかな?世の中はいっぱいいろんな人がおるなあと思うので楽しいです)

 

その見てた動画群のコメント欄でも、「こういったコメントがとても多いな」と思う明らかな傾向があったからなんですね。

 

 

 

で、そのコメント内容というのが、

「自分は現在うつ病(または、診断名はついておらずうつ状態)にあって、情報収集をしている」

そして、

「自分ではこういう状態だと思っているが、それでもどうしたら良いのか分からない」

「自分はこういう状態でこういうふうに苦しんでいます。アドバイスお願いします」

といったものが多くて。

 

 

そこから、コメントの傾向について私が考えた推論は以下です。

 

  • うつ状態にある人は、その状態の原因や対処法はないのかと非常に勤勉に調べたがる傾向がある
  • そして、その情報に固執する傾向にある
  • また、その情報から自分の判断を下したがる傾向にある

 

 

これが個人的にあんまり良くないなと思ったのでブログ更新の筆を取りました。

 

 

まあ、これまで私自身がこのブログを更新するときに

等身大の自分なりの考えを発信してきた立場で物申すのも非常に矛盾点が多く、申し訳ないのですが

やっぱり、情報を集めすぎるのも良くないんですよ。

 

 

 

 

 

なぜなら、ネット上の情報で言えば、

 

  • まず情報が断片的である

 →本来は考察に際して重要な部分が欠けている情報の可能性があります。

 

  • 出典が明らかでない(特に、まとめ記事・まとめ動画などは、誰かのコピーのコピーのコピー(…以下、無限ループ)だったりすることが多いです)

 →情報の信憑性が低い、医学的に根拠がない可能性があります。

 

 

パッと挙げただけでも上記のような欠点がありますね。

 

 

 

また、本や専門医発信の情報から手に入れた情報であっても、

 

  • その情報の活かし方が適切ではない可能性がある
  • 判断を下すにあたっては、適切ではない思いこみ(認知の歪み)がある可能性がある

 

上記の可能性はあるわけで、自分自身の判断力や認識に100%の自信を持つことは危険だと考えます。

 

 

 

コメント欄を見ていて私が気づいたのも、やはりコメントした方が他人であって、

その状況に私がまっったく関わっていない他人事であるからこそ、フラットな視点で物を見られたからだと思います。

 

 

なので、やはり何千ケースも似たような適応障害であったり鬱病であったりの患者さんを見ているお医者さんに頼るのが有益だと私は考えます。

 

 

”専門性”ってのは、世の中に「やっぱこれ必要やなあ」と思われたからこそ生まれてきた枠組みなので、

その専門的な枠組みがあるってことは、すなわち何らかの重要な役割を社会に対して発揮していると考えて良いと思います。信じて良いと思います。

 

なので、やはり付け焼き刃の知識で変に考え込んで「自分病気なのかな、死ぬのかな」とか「自分ってやっぱ甘えた人間かも、死ぬか」とか悩んでしまうよりも

「ちょっとわかんねーわ、たすけて!あとは任した!」と放り投げるくらいの感覚で行ってしまう方が良いと思います。

病院じゃなくて、何かしらの支援受けるときも、似たような感じですね。

私はこれからソーシャルワーカーになろうかなと思っているのですが、案外専門職の人に頼った方が解決する問題って多いもんだと思いますよ。はい。

 

 

 

 

ここでこの記事を読み終わるのはちょっと待ってくれ!

 

で、今回伝えたかったテーマについて解説が終わったところで最後に一言付け加えたいと思うのですが

こう言った記事を読まれた時、うつ状態にいらっしゃる方だと「自分への攻撃や否定」だと感じる方も多いかと思います。

 

自分の行動について「それはあまり良くない」と否定される時、発信者としてはあくまで行動の面のみを否定しているコミュニケーションなのですが、

受信側は行動への否定と自己の人格への否定を同じのものとして捉えやすいんですね。

経験則でめちゃくちゃその気持ちわかります。。

 

 

 

でも、今回声を大にして言いたいのは、

本記事は、読まれた方や、実際に今不安でいろいろ調べている方への否定をしたいのではなくて

専門智を頼ってみませんか?という提案であるということです。

 

 

GoToトラベルじゃなくて、GoToホスピタルやってみませんか?って話です。

(上手いこと言えていないなこれ)

 

 

 

 

 

そして、(先程までの文章の中では「信頼性に欠ける」などと評していましたが)こう言った私のような未熟な人間の書くブログなども、有益ではないかとも考えています。

だから、今こうして私の記事を読んで下さっている方の行動も100%無駄無駄無駄ァ!とは言えないのです!そう!読んでくださってありがとうございます!

 

病状の治療という形ではあまり有益ではないかもしれませんが、情緒的にはなんらかの共感だったり安心感があるんじゃないかと思うのです。

別角度からのアプローチですね!

 

 

 

ここからは少し雑談にお付き合い頂きたいのですが、(すでに雑談だと思う方はすみません)

私は、人って、ただの物と物を結びつけて意味を見出しがる生き物だと思うんですよね。

 

無機質な物質にも命を見出そう(与えよう?)とするし、

ほんとは無関係な出来事なんだけど、結びつけることで、物語を見出して、自分の中に納得だったり、何かしらの感情を見つけようとする。

これを私は「人間は物語的な生き物である」とかカッコつけて呼びたいんですけど

 

というのも、この動画見てもらえればちょっとわかると思うのですが


意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説

人間はエピソード記憶ってものを持ってますよね。

 

これも、やっぱり脳の構造から見ても人間って物語的生き物じゃないかい!と私は思い至る要因の一つなのですが・・・まあ長い話は置いといて、

 

閑話休題

 

 

そしたら、こう言ったブログに出会うのも、記事を読むのも、本当はただのランダムな乱数のなかで出会った偶然でしかないかもしれないけど、

何かしらの意味を読者の中に見出すのも全然良いと思うんですよ。

そして見出すその意味は、人によってなんでも良いと思うんですよ。

わかるわ〜っていう共感でもいいし、自分よりもっとひどい状況の人いて安心したわっていう安心でもいい。心の中で何を考えようと自由なんです。

 

 

で、提案なんですけど、よかったらその心の動きを他のことでもやってみると良いんじゃないかなと思います。

 

中でも、物語を読むのって結構良いと思うんです。

アニメでも漫画でも、映画でも、小説でも、そこで生み出される話の中に没入していくと、どこかで共感とか何かしらの心の動きが生まれると思うんですよ。

で、小説とかの何が良いかって、その中で主人公とか登場人物たち、もしくは地の文が「今何を感じているか」を描写してくれるんですよね!

それがあるから、「あ、もしかして自分が考えてたのもこういうことだったのか」と合点がいくことも多々あるんですよ。

スッと自分の中に落ちてくることもあるんです。

 

 

だから、(もちろん学術書とか雑学の本も良いんですけど、)何か物語に触れてみてほしいなと思うんです。

そして、その一歩目が、私のブログだったら嬉しいなあとか思っています。笑

 

 

 

 

長々と今回の記事もお付き合い頂きありがとうございました!

 

 

人に頼るのも悪くないですよ。

適度にサボっていきましょう。

では。