うつだけど成人していいですか。

うつ状態からのサバイバル演習(仮)

23歳の私へ、24歳の私より/そして30歳の私へ、宿題です

 

 

 

1年ぶりにブログを開いて、ようやく文字をしたためる覚悟が決まった。

 

いつにも増して、とてつもなく個人的な出来事を振り返った随筆文になるだろう。

 

 

 

 

 

 

1年前の自分を思う

 

1年前の23歳の私は、自分なりに大きな決断をして新しい道に足を踏み入れて学舎の扉を叩き、同時に新しい愛に出会って希望に満ちていた。

もちろん、不安もなかった訳ではない。

新しい決断には不安がつきものだ。

 

「資格試験に合格できなかったらどうしよう」

「恋人と別れる日が来たらどうしよう」

 

そんな、まだ起こってもいない未来の到来をなぜか予感しているような気持ちになって一人不安になっていた。

 

 

 

その予感は、図らずしも当たっているものもあった。

 

1年前の私に伝えるには酷かもしれない現実があるが、

正しく伝えたいのは、同時に希望もあるということ。

 

 

 

 

人生には、常に光と闇が共存しているのかもしれない。

 

「浮き沈みがある」と聞くとなんだかマイナスに聞こえるが、

「振り子は、右に振れたらもちろん左にも振れるよね」と聞けば、なるほど、そうだな。と思えるだろう。

 

波がなんで上下だけだと思い込んでいるのか。

左右に揺れることもあるだろう。

 

そんな人間の認知の適当さ、思い込みのあっけなさを実感する1年でもあった。

 

 

 

一つの目標達成という経験

 

さて、私は精神保健福祉士という国家資格を得るため去年の春、専門学校に入学した。

1年間、正確には4月からの10ヶ月間で、本来福祉系の4年制大学で学ぶ内容を凝縮して詰め込んできた。

こんな量の勉強を短期間で詰め込んで、果たして自分はちゃんと合格できるのだろうか、と不安な日の方が多かった。

理論的に精神疾患についての知識や相談援助技術を学び、演習の時間に実践し磨いてきた。

 

 

でも大丈夫、

腐らずに頑張ってきた、紛れもない私自身の力で

国家試験本番で9割の得点を獲得できたのだ。

 

常に自分を否定的に評価してしまう自分も、ついにこうして数字で結果が出てしまうと

認めざるを得ないだろう。

 

自分が努力をできる人間であること、そして結果を出したということを。

 

自己採点の結果が分かった日、

私は、一人泣いた。

 

 

 

右へ左へ

 

もちろん、国家試験本番まで紆余曲折はあった。

振り子が左右に振れまくっていた。

 

 

春、

新しい環境へ適応する大変さ

勉強への焦り

 

いろいろなことで心が揺らいで、恋人にもバランスよく余裕を持って接することができなくなっていた。

 

自分の不安や焦りを相手に吐露することは出来ず、

恋人の就職活動などを明るく励ますことに終始していた。

 

 

初夏、

家族とのいざこざが予期せず起こり、初めて人との電話で号泣した。

感情的に揺らぎやすい自分のことも自覚していた。

 

 

そんな中で、一番信頼していたはずの恋人から急に別れを切り出され

またみっともなく号泣した。

 

久々に嗚咽が酷すぎて上手く息継ぎもできなかった。

 

 

 

感情が揺らぎやすい私のことを、これからも好きでいる自信がなくなったこと

お互いに一緒にいて幸せなのか疑問に思ったこと

 

それらを理由に、急に距離を置きたいと言い出されても到底納得はできなかった。

 

 

やっぱり私は感情的で重い女と言われて再度振られるのか。

と何度自嘲したのか、もう覚えていない。

 

 

おそらく父親からの愛情不足ゆえに恋人に代役を求めていたことを指摘され、

そんな感情的に揺らぎやすいところが前から嫌だったと言われたことは

今でも時折思い出すくらいに、私の心を傷つけた。

 

嫌なところがあったら、できる限り直したいから言ってね。

そう前から伝えていた私の努力はなんだったのだろうか。

特に不満はないかな、と言っていた当時の彼は嘘つきだったのだろうか。

 

過去のやり取りまで否定されるような、そんな汚い終わり方を選ぶような人だったんだろうか。

 

賢くて、議論もできる彼となら、たとえ問題が起こっても話し合いで建設的に解決できると思ったのに

自分の直感は間違っていたのだろうか。

 

 

最後に聞いた電話越しの彼の冷たい反応や、

友達に戻ろう、と自分勝手なことを言った後の彼からの冷めたLINEの返信を見るたび

胸が酷く苦しくなって、常に吐きそうだった。

 

 

久々に自分の心を開いて、マイナスな感情も共有していいかなと信頼していた人からの裏切りは

思った以上にキツかった。

 

 

常に胸が苦しくて吐きそうだからご飯を食べる気にもなれず、

家の中のどこにいても、彼と一緒にいた時間を思い出してしまい

思い出よりも広い湯船に浸かりながら泣いた。

 

ベッドに横になっていても、自分の孤独を呪って泣いた。

 

 

夏、

気がついたら5キロ痩せていた。

 

 

 

傷心、しかし…

 

不幸な自分を呪っていても、時間は休ませてはくれなかった。

如何せん今年は受験資格獲得のために1年みっちりとスケジュールが詰まっていた。

 

ある意味、この忙しい時間の流れが失恋を忘れさせてくれた。

人間にとって、一番毒なのは暇な時間かもしれない。

 

 

 

地域の福祉施設へ実習に行った。

いろんな人と出会い、会話をした。

いろんな人が日々生きて、ただ暮らしているという実感を得ることは

傷ついた心を何より癒した。

 

 

たった10数日しか関わっていない私との別れを惜しみ、

感謝を伝えてくれた人もいた。

 

 

人生において、

傷つくのは大抵人との関わりの中であるけれど

同時に、癒されるのも人との関わりの中なのだ。

 

 

 

秋、

就職先が決まった。

 

少し余裕が出てきて周りの人に興味を向けて遊びの時間も持とうと思い始めた。

好きだったファッションをまた楽しみたくなって髪の毛を染めた。

 

痩せたのをきっかけに、体を絞ろうと思って運動を始めた。

好きな服を着て、自信を持って自分の身体を見せられることが楽しくなった。

 

 

仕事に必要だからと自動車免許を取りに自動車学校に入った。

 

年明けの国家試験勉強の時期に備えて、年内に免許を取れるか不安だった。

平日の授業終わりや土日に自動車学校に通い詰め、

休む暇を取らずにいたら、疲労からメンタルも不安定になり再度人間不信に陥っていた。

 

仮免許も、卒業試験も、追加料金を払いたくなくて

一発合格できるか前日から気が気ではなかった。

 

 

でも全ての不安や心配をきっちり裏切るように、

私は一発ストレート合格をして12月末に免許を取得した。

 

 

 

そして冬、

私は一つの結論に辿り着いた。

 

夏、

確かに自分にはもう何も残っていないと思った。

 

しかし決して自分は無能でも魅力がないわけでもなかった。

実習も終わったし、免許も取れたし、国家試験も9割取れた。

体重を6キロ落として服のサイズも変わった。

 

これだけ結果をきっちり出している自分を褒めても良いと思った。

 

 

人間関係での変化があったとしても、

それはただ自分の周囲の環境が変わっているだけだ。

中心にいる自分の価値は揺らがない。

 

 

自分の才能も、大切な友人も、何も失ってなかった。

 

実はあの時しんどかった、と吐露した時、

そうだったんだ、と受け止めてくれる人は沢山いた。

 

私は、私の感情をちゃんと取り扱ってもいいんだ。

私の感情は、人からもちゃんと丁寧に取り扱ってもらえるんだ。

それに値するんだ。

 

今更ながら、当たり前のことがようやく腹落ちした。

 

 

 

この1年間の葛藤は、人として一皮剥けるための必要な経験だったのだろう。

元恋人には酷く傷付けられたと思っていたし、今でも時折思い出してしまうが

きっと私の人生の学びのための必要な出会いだったのだと思う。

 

 

そして今、もちろん新しい恋をしている。

 

 

 

23歳の私へ、24歳の私より

 

24歳の私が23歳の私に伝えたいのは、

失ったと思っていても、自分は何も失っていないということ。

 

むしろ、これまでの積み重ねが自分の中にも周りにもちゃんとあって、傷ついた時には救いがある。

過去の自分の行いが自分を助けてくれた。

頑張ってきてくれた私、ありがとう。

 

 

そして、恋愛もまだ失敗を繰り返しているけどその度に学びがあるということ。

学びを得て次に進めば、それはただの失敗ではなく、経験値になる。

振り子理論で考えれば、やはり別れがあれば出会いもある。

 

何よりも気をつけたいのは、一つの失敗や、悪かった経験を過度に一般化することだ。

信頼を踏み躙ってきた人がいるからと言って、異性全員を「いずれ裏切る」と決めつけるのは理論的にもおかしい。

 

 

マイナスに捉え過ぎないでいい。

始まる瞬間から、将来傷つく可能性を恐れないでいい。

きっと自分なら乗り越えられると信頼していい。

 

 

 

 

さて、

私がこれから足を踏み入れるソーシャルワークの世界は

白黒つけられないグレーな部分が大きい領域である。

 

自分自身とクライエントとの間で、境界線の引き方に悩むことばかりだろう。

仮説通りに進まないことばかりだろう。

 

 

でも、私は人を信じているから、人が好きだからこの道に足を踏み入れた。

 

1年間の学びの中で、必要最低限の専門的知識はもう身についた。

 

さあ、スタートラインに立った。

これからどんな自分になるかは未知数だ。

きっと、揺らぎは何度でも襲ってくるだろう。

 

しかし、これまで右に左にでっかく悩みの振り子を振りまくってきた私は、

人一倍三半規管が強いのは間違いない。

揺れたとしても大丈夫、また反対方向に振ればいいだけ。

ひとりの時間に悩むのはもう24年間やってきたから得意分野。

振っていく基礎体力も体幹もばっちりだ。

 

 

「支援者」としての肩書きなんて背負わなくていい。

そんな偉そうな大人のことが大嫌いだったはずだ。

 

自分も、日々思い悩む「当事者」として等身大で関わっていけばいい。

 

答えがないことも、一緒に考えて探していく。

『お悩みのプロ』の基礎体力でとことん向き合えばいい。

 

 

 

 

そして30歳の私へ、宿題です

 

ここからは24歳の私から、25歳…いや、30歳の私への宿題。

 

 

まず、諦めが悪いのは私の長所だけど、完璧を目指すのをやめよう。

完全無欠の人間なんていない。

 

自分にできること、できないことを知って、足りない部分は人に外注しよう。

 

 

そして自分は思ったより優秀っぽい。

自分の思う7割くらいの気合いで、十分いいパフォーマンスできるっぽい。

 

それでセーブした分余った力で、プライベートで二兎も三兎も追っかけてやろう。

仕事も恋愛も趣味も全部楽しんでる自分が一番好きだ。

大人げなく、40歳くらいになって後悔しないように今を全力で楽しむこと。

 

 

最後に、自分の悩みもちゃんと取り扱うこと。

つい「もう終わったことなんだけどね」って人に過去形で喋るのはやめよう。

悩み終わってなくていい。

解決できてなくていい。

それは全然汚点じゃない。

家族のことで悩んでてもいい。

恋愛で悩んでてもいい。

 

それが何の障害になる?

自分の悩みをゼロにして、完全無欠の透明人間にならないと支援者になれないと思い込まないで。

 

働いている「会社員」も、家に帰れば「父」や「母」という立場の当事者で、

学校にいる「生徒」も、家に帰れば「子供」という立場の当事者。

誰しもが複数の立場を持っていて、それぞれの当事者性を持っている。

 

少なくとも今の私は、「家族関係に悩む娘」で「福祉の道を勉強している学生」で「誰かの大切な友人」だ。

 

 

自分の中の、色んな立場の当事者性を無理やり抜き取って透明になろうとしなくていい。

色んな当事者性を、色を持ったままでいい。

 

透明な立場じゃないと、中立になれない?人を助ける立場にはなれない?

 

透明だったら、他の人の色と交わった時に何の変化も生まれない。

お互いに色を持ったもの同士だから、変化が起こる。

その色の混ざり具合や、予想もつかない化学変化を楽しまないと。

 

 

私の持っている色は何色なのか?

それをここから6年かけて、ちゃんと観察して見つけてください。

 

 

 

 

24歳*1の私より、愛を込めて。

 

30歳の私へ、宿題です。

 

 

 

最後に好きな歌貼っといていいですか(小声)


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*1:今年2022年の夏で25歳だけど、まだ24歳なので許してください