うつだけど成人していいですか。

うつ状態からのサバイバル演習(仮)

20歳の自分へ。23歳の私より。

 

こんばんは。

気づけば23歳と数ヶ月になっていました。久しぶりの更新になります。

 

ここ最近個人的に日記というか記録をつけるようになっていたんですが(結構アナログ好きなので、ノートに万年筆で書いてます。)ふと「昔落ち込んでいた時期にブログ書いていたな」と思い出したので、当時の自分に対して手紙を書いてみたくなり記事更新を思い立って筆を取りました。

 

今記事を更新して見てくれる人がいるかも分かりませんが、後は超絶個人的内容ばかりですが、”20歳前に死ぬかどうか悩んでいた人間が数年後にかなり前向きに生きている”ということが誰かの励ましになればいいなと思って、電子の海に記事を投げて浮かべておきたいと思います。

 

 

 

 

20歳になる自分へ。23歳になった私より。

 

今これを書いているのは2020年12月30日の夜中です。書いているうちにさっき日付超えて12月31日になりました。

12月10日に、4月から勤めていた会社を辞めました。

こう書くと「やばいじゃん2020年の自分」と思うかもですが、これまでの人生で一番幸せな時間を毎日更新している気持ちなので大丈夫です。

こんなこと言ってるのが心底意外かもしれないですね。

あと最近好きな人と付き合い始めました。多分これが一番のビッグニュースか?

 

 

2016年、大学1年生が思ったよりもつまらなくて、人も信用できなくて、そんな自分が嫌で許せなくて落ち込んでましたね。

2017年になる時、新年を迎えるし「ここは最後に少し頑張ってみるか」と思い切って大学の人を頼ることに決めて、動き始めたこと本当に偉かったなと思います。

卒業できるのか?とか心配事も多いと思うけど大丈夫です。

今のあなたが沢山動いてくれたおかげさまで、20歳からは毎年誕生日に「今年が人生で一番幸せだ」と思う気持ちを更新してます。

 

 

ゼミの教授と話はできましたか。その人はその後数年間お世話になります。なんなら、卒業後の今2020年末も再度お世話になっていますw

大学の周りの友達は教授と距離感があるけど、あなたは自分の感覚のまま教授と仲良くしてください。ご飯もご馳走してもらえるし、結構ズバズバ指摘してくる毒舌なところのある大人は貴重な存在なので大切にするといいと思います。

まだ確定ではないけど、2021年は大学院に進む(正直、慣れ親しんだ家に戻るような感覚だけど)予定です。

 

 

あなたは、これから2017年に大学と、外で自分の居場所を見つけます。

趣味を大切にして、自分の感覚を共有できる友達を増やしてください。

 

ネットでの友達からの縁で、自分の地元以外の場所で第二の故郷みたいな居場所も見つけます。それぞれの価値観を思う存分話し合えて、地域みんなで子供たちと関わって成長していく、そんな素敵な場所です。

 

 

 

あと何点かアドバイスもしておきたいです。

2019年、思いもがけない人間と恋するかもしれません。その夏と、2020年春は失恋してめちゃくちゃ傷つくと思います。

久々に心を許して信頼した人間に裏切られ、人を信じられないと深く失望すると思いますが、2020年末は再度心から愛しい!と思う人ができて、幸せなので心配しないでください。

あとは自分が本能的に変だと思う人は受け入れずに、ブロックして縁切ってください。相手に悪いと思って変に取り敢えず受け入れてしまうのは私の悪い癖なので、相手を調子に乗らせる前に存在を消しましょう。

 

 

家族との仲も、中学生からずっと悩んでましたね。

まず母親に関しては、仲良くなります。自分が喋りたがりで隠し事ができないので、何かあれば恋愛模様も筒抜けです。

いまだに喧嘩もしますが、まあまあそこそこです。

「こんな自分でも無条件に愛してくれているんだ」と実感すると思います。

機械類の質問とか、あれやってこれやって攻撃が多くてイラつくことも多いけど、自分のペースで手伝ってあげましょう。

 

父親についても、2020年末には「これまでの事は許して、再度向き合ってみよう」という気持ちになっています。

2017年以降も何度か事件はありますが(特に2019年には2回くらい「もうだめだ」と思うかもしれません)、仕事を辞めた時も無条件で受け入れてくれた父親を見て「そういえばこの人なりに私のこと愛してくれていたのかな」と感じると思います。

 

家族が恨みあったまま死ぬのは嫌なので、私なりにもうちょっと頑張ってみて家族の仲をとりもってみようと思います。

 

あ、兄は相変わらずヘラヘラしていますが、物理的に距離が開いたことで喧嘩はしなくなります。時々軽口程度にdisり合うといいと思います。

 

 

 

これまでの大きなイベントを振り返ると、

 

2017年には大学で友達ができて、バイトも順調で、趣味のアイドル応援活動も楽しく過ごせます。

2018年は、あんまり覚えてないけど引き続き趣味の場で輝いてます。覚えてないってことは、特に嫌なこともなかった気がする。

 

2019年には、心配していた就活は”案ずるより産むが易し”という感じで終わって、その後はバイト先の人と仲良くなりながら遊んで、ちょっと恋もしてみて、卒論も持ち前の火事場の馬鹿力でなんとかなります。ただ、もうちょっっと前から書いておくといいと思いますw

あと、夏場に誘われたキャンプは、いつものようにノリで参加してみると今後自分にとって重要な居場所との出逢いになります。

 

2020年は、仕事を楽しくこなしてどんどん成長する自分がいて楽しいと思います。

ただ、ご飯を何食べるか、とか根本的な気持ちや大切にしたい人との時間を後回しにすることに疑問も抱くと思います。結果として仕事は辞めますが、新しいやりたいことも出来て前向きな気持ちになれるので「自分は何も価値が生み出せない人間だ」とか必要以上に自己否定するのはやめたほうがいいです。

そんな自分でも素敵だと言ってくれる人たちが、今の私の周りには沢山います。

 

 

 

 

一番伝えたいのは、

今の私は

これまでの経験全部無駄なことは何にもなかったと感じていて

何よりも自分と出会ってくれた人みんなのお陰で今の自分が構成されていて

人に恵まれたおかげで、今は本当に「自分がただ自分のままでいる」だけでみんなに愛されているんだと実感していてとても幸せだ

ということです。

 

 

変な自己啓発本のコピペじゃないです。3年後のあなたの口から出た言葉です。

信じられないですかね。でも幸せなんだよな、不思議だけど。

 

 

中学生のころに部活が原因で不登校になって、高校でも学校をサボりまくり、大学も勉強せず適当に入ったら友達もできないし、

自分はこれまで「人生を無駄にした」とか「立ち止まってばかり」「人よりも間違った落ちこぼれ」ばっかり感じていたけど、

今振り返ると、その立ち止まってる時間とか、「間違った」と思った道で出会った人がとても大切な気付きや宝物になっています。

 

 

傷ついた分、人の気持ちを察してあげられるし、人に優しく出来ます。

1度選択して1つの道に進んだから「ここは自分の場所じゃないな」と分かったんです。それもひとつの収穫です。

 

 

 

多分、私は人よりも「人を愛す」ことに貪欲な人間です。

10代の頃は自分が愛されているのか分からないから軸が揺らいでめちゃくちゃになっていたけど、今は人に愛されていると実感しているから軸が安定してて、周りの人を愛して行こうと思ってます。

先生とか大人は信用できないと思っていると思うけど、そうだった分、自分は「過去の自分がしてほしかったことをしてくれる大人になろう」と思って、いま先生になる道に進んでいます。

愛が足りなくて寂しいと感じることが一番不幸だと思います。世の中はそんな寂しい人が多いので、私はまずは周りの人から愛しまくりたいと思います。

 

 

あ、でも多分人を愛するってのは能力です。

能力ってことは、経験や練習を積まないと習得できません。だから今いきなりやろうとしてもできないのは当たり前なので落ち込まないでください。

裏を返せば、愛される経験を積んだり、出会う人を信じて愛する練習をすれば誰でも簡単に習得できるんで心配ないです。

そうです、ノープロブレムです。

 

 

「2020年末までに勝手にそんな能力が身についちゃうんだな〜」と思って、呑気に生きちゃってください。

 

 

あとは、なんか自分で思っているよりも「こう」と決めた後の実行力というか思い切りの良さは大きいらしくて、周りの人に勇気を与えているみたいです。とりあえず周りのことは特に気にせずにそのままでいればいいと思います。

直感を信じて、今の最善を選択すればいいと思います。

 

 

過去の私に会いに行って慰めることはできないけど、

2021年からの私は、愛を持って、過去の自分と同じような子供たちに向き合って行こうと思います。

 

 

 

20歳の自分へ。

なんだかんだ全部問題ないです。

23歳の私より。

 

 

 

こんばんは、成人しました

 

こんばんは、お久しぶりです。

とっても久々に筆を執ってみるかなという気分になったので更新してみます。

(大学のテスト期間が終わりました わ~い)

 

去年よくブログ書いてた時に見てくれてた同級生が「書く文章好きだよ」とか「成人したわけだし更新しないの?」って言ってくれてたので、今私の周りの人たちへの感謝を込めて更新したいと思います。

 

 

今年の1月8日に成人式に参加してきました。

これで誰が何と言おうと私は事実、成人してしまった。

どんなもんで~~い 何も怖くないからかかってきやがれ~~

 

おお、こわい…と昔は思っていたものですが、今は「ほーん…で?」というくらい、なんともなくて普通だし、自分で自分に責任持つのは当たり前だよなあと思っています。

無理しているのではなくて、自然に。

 

ただ成人の日が来たから、その一日で変わるか?と言われれば答えはノーです。

本当に大層なことを言うようで恥ずかしいんですが、人間が変わるのって本当に一日一日の微妙~な積み重ね以外にないんですね。本当に微妙~にしか変わっていかないから、年齢は20歳でも心は高校生くらいと同じです。

永遠の18歳って言う大人イタタ…と思ってましたが、これは事実です。

 

 

しかし、うつの時は簡単には変化ができない

 

誰かの参考になればと思って素直に書きますが、悩んで毎日死にたいと思っていた時、私は「どうしてこんなにつらいのに誰も助けてくれないの、自分で動けないんだから誰か私を連れ出してよ」といつも思っていました。

体感からの結論ですが、うつ特有の思考は自虐かつ他力本願的です。

これが良いか悪いかを論じることは必要ありません。

ただ、こうなのだと周りの人に少し知ってもらいたかったので…(周囲から見ててうつの人の矛盾にイラつくことが多いかなと思ったので、蛇足ですが。怒らないであげてください。)

 

他力本願的な自分を誰よりもよく自覚しているので、「誰か」と求めた分と同じくらい自分を責めて「こんな考えるばかりで自分で行動に起こさないクズは早く死なないと」と思います。

まさしくこれが負のループです。自分で自分の体を動かす元気(の源である自己肯定)がないのでループから抜け出せません。

変化がほしい、変化したい、変化しなくては、変化させてほしい、変化できない…自己最大のジレンマを抱え込んで毎日吐きそうでした。

 

 

それじゃ変化するためには?

 

それで、ループから抜け出すきっかけがとっても重要なわけですが

 

こういうブログを読んでくださってる方なら、もうすでにたくさん検索して「うつ 解決」とか「うつ抜け」とか「うつ 治る」とかめちゃくちゃ努力なさってると思うんですよ。

本当に真面目だから自分で解決策探してないはずがない。

でも、なんか「死にたい」検索結果に星の数ほどある「死ぬ前に、読んでほしいブログ」系を何個も読んでみても上っ面のことばっかり言ってて心に響かないし

 

で、どうすればいいの?

私いま死にたいんだけどすぐ気分変われる方法なんてあるわけなくない?

どうせ自分はうつじゃないくせに偉そうに

命を大切にしろとか言って、そうやって死にたい人の選択を勝手に悪にしないでくんない?

何をしたらいいかこんなに聞いてるのに

なんで みんな何も教えてくれないの

なんで自分で

自分で考えろってそればっか

考えても分からないから死にたいのに

 

 

よく言われますが…家族だから頼れるか?と

そんな訳なくて、お父さんは朝起きない私を心底軽蔑してるし、部屋の前までくる足音がまた私を引きずり出しにきたんじゃないか、怖くてリビングの話し声が自分について親が喧嘩してる気がするし、ねえどうすればいい?お兄ちゃんはどうしたの?って聞いても知らねーよ、そうだよね自分のことなのに人に聞くの偉そうだよねごめんね、でも分からないから教えてほしい、わたしは新しいことを一人で出来なくて人見知りですぐ泣いちゃうし、お母さんがついてないとダメな子なんだから、何もできない、失敗するのがこわい、失敗しかしてない自分が嫌いで死にたい、

 

家族にこんなグチャグチャドロドロの感情出せるはずがないすね。

自分のこと軽蔑されたくなくて、病人だって思われたくなくて、家の外では極めて普通に振舞いたいから、誰かに弱さを吐きだせる環境なんて1ミリもないです。

 

 

 

誰にも言えないんだけど、どうしたらいいか他人から教えてほしい。

 

自分のことを自分でも信用してないので他人からの指示に従うほうが正しいと思います。それで出来ればなるべく偉そうじゃなくて信用できそうな大人。大人は基本みんな信用できないからこの見極めが大事。

もう親の喧嘩の最中に交番駆け込んで泣きつくくらいしかなくね?と思っていた

 

 

解決方法を探して来てくれた人へ

 

それで、こういう気持ちを抱えてた昔の自分に宛てて書くつもりでこれからブログを書きます。

どうか信用してほしいし、本当に体験に基づく素直なこうした方がいいという気持ちを書きます。

ただ、それでも100%正しいとは限らない。わたしが出来たからあなたも出来るとは保証は出来ない。わたしは今読んでくれてる人を本気で全員助けたいと思ってるし、笑顔で元気に過ごしてほしいと思ってる。無責任でごめんなさい。

もし失敗したとしてもあなたが悪くはない。1人1人向いてることが違うから、ゆっくりまた探してほしい。

 

 

 

前置きが長すぎる。

 

 

はい、本題

 

  1. 人間まるっと変わるのは一日で無理だけど気持ちは一日で変えられる
  2. ちいさい成功体験を積め
  3. バイトのすすめ
  4. 自分は意外とどこにでもいけると気付くこと
  5. 好きなものを好きだと言え
  6. 中高生時代の友人は卒業したら9割9分モブ

 

多すぎる。

 

つづくよ

 

好きは依存しないでも成立するやで

 

こんばんは~~!!!

前回の更新と打って変わってめちゃくちゃ明るいです。

安心してください、生きてますよ。(安村風に)

 

でも、こうやって失意のどん底!っていう記事も結構有用だと思うんですよ。

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

死にたいって切実に考えてるひとの思考がどうなっているのか、みなさん考察対象としてご活用ください(笑)

 

自分的には、振り返ると「視野の狭さ」が目立つなあと思います。

 

「今の自分は○○でしかない・・・!」と思い込む

⇒「○○な自分に価値はない・・・」

⇒「死ぬしか解決方法がない・・・」

⇒「死のう」

 

ショートカットするとこんな感じですね。

うつの人とか、うつっていうほど大げさじゃないけど落ち込んでます(大体の人がこうやって謙遜するよね)って人たちは、大抵は体力がないです。

思考する体力が残っていない、HPもMPもほぼゼロ、むしろ”どく”状態で毎ターン、毎日減っていってる状態。

だからこそ、もう少し考えて「いや、死ななくても別のあの方法があるやんけ」と思い至らない。

 

「あ、今わたし思考する体力ないんだな」と思ったら、休もう。

考えることはいったん放棄。これ鉄則。

 

それで、休むといってもその間何をするか?これも重要だと思います。

 

これは私の経験則ですが、落ち込んだ時に寝床に入り続けるのはその先もしばらく布団から出られなくなるので(笑)、あまりいい方法とは言えないでしょう。

ガーっと長時間寝て、スッキリ起きれた!ハイ、昨日落ち込んでたけど今日はめっちゃ元気!ってなることが出来るのは、そもそも体力のある人です(笑)

起きるのにも体力って必要なんだなぁ。20年目にして気付く。

 

そのため、まず翌日目覚めたらとりあえず布団から出てみる。

昨日思い悩んでたこととは全然関係ない場所に出かけてく。

近所のスーパー行っちゃう。適当にプリン買う。

すれ違ってく人の目線を感じたら「私ったらコンディション最悪でも美人なのね」と思っとく。審議はしない。

家に帰る。なにか達成感がある。

プリン食べる。おいしい。

今日も一日無駄にせずスーパーでプリン買って来たし、おいしいし良い日じゃない?

とりあえず夕飯の献立考えるくらいの元気出たわ。

 

こんな感じで適当に行き先を決めて家から出てみるのがおススメです。

どんなに顔色ブスでも無理やり家出て何かしら食べると私の場合元気が出ます。

一日中家にいるよりかは生産的な活動をしたという実績が残るので、自己嫌悪でさらに落ち込むということを防げます。

 

食べなくてもいいです。私は食べることが好きなので食べてます。

なにかしら、その人の好きなこと、外でやってみましょう。

外に出れば「わたしでもオゾン層のなかにいることを許されている・・・」と思えるし、尚いいのは、

店員さんなどに「ありがとう」を一言でも発することが出来ると、「わたしもちゃんと人に幸せを与えられた」と自分を肯定できます。

 

「ありがとう」って言われてうれしくない人なんていません。

「ありがとう」って、パワーワードだと思うんです。

押しつけがましく言ってるわけじゃないんですよ。誤解してほしくないんですが、「ありがとう」という時は、呟きみたいなものなんです。

相手からの返答、すなわち見返りは一切欲してないんです。

でも、言われると嬉しい。

すごい、「ありがとう」ってすごい。

 

落ち込んだ時は「ありがとう」って言ってみてください。

まずは、自然と口から出る「ありがとう」じゃなくてもいいです。何事も初めはモノマネ、見様見真似、形から入るんです。言葉を話し始めたのも、まずは形からだったでしょう?

なんで大人になるにつれて最初の段階を恥ずかしがってやらなくなってしまうんでしょうか。人間誰しもが生まれた時はやっていたことなのに。いつからビギナーを馬鹿にするようになってしまったんだろう・・・

ま、それは置いといて、意識的に、「ありがとう」を言いましょう!

最初は「ありがとうを言えた自分って最高」って自尊心を満たすだけの行為でいいんです。

自己満足でもいい。

落ち込んだ自分を慰める手段でもいい。

言ってるうちに自分も元気になれば、自然と見返りを求めない「ありがとう」を周りの人に伝えられるようになりますよ。

見返りを求めないでいられるのは元気な時だけですからね。

元気なら、心が健康なら、依存なんてしませんよ。

 

今もしこれを読んでいるアナタが「自分依存してるんかなー」とか「自分見返り求めちゃってるのかなー」とか思っても、凹まなくていいですよ。

「自分、元気ないんだなー」って思えばいいです。

凹む必要ないですよ。

まずは「ありがとう」、言ってみましょうか?

私も実践していってこの学説(笑)を立証したいと思うので、私の酔狂にお付き合いください!

試す価値、あるんじゃないですか?!

 

 

ないですか?

う~んすみません、この記事ここで終わりなんで、最後まで読んでくださってありがとうございました!!!

価値のないブログを読んでくれたあなたは寛大なお方だ・・・!

 

 

 

どうですか?

今ありがとうって言われてまんざらでもないって方、やってみませんか?(笑)

 

 

ここで本当に最後です。

何らかのご縁でこの記事を読んでくださってありがとうございました。

おやすみなさい!(深夜二時)

 

 

取り急ぎ、死にたい


こんばんは、前回の記事の続きを書くつもりでしたが、自分の中で色々あって書けそうにありません。


というか、前回の記事は勢いで書いていたので、一応読み返してみたら、予想通り後半が目次を無視した進行になっていました。

目次の最後に書くつもりのテーマが、前回の記事の最後にもう入ってました。

とりあえず言いたいテーマは完結したので、続きをまた書き直すかどうかは私の気分次第ということでよろしくお願いします。



今はどうしても取り急ぎ死にたい気分というか、

こんな風に謝罪記事書くくらいだから元気だろと思われるかもしれないのですが、

もし死ぬなら記事を中途半端に投げ出す真似は出来ないと思ったからこうして謝罪してみたというか、

こうして冷静に文章を打てるくらいに落ち着いた気持ちで考え直してみても、どうしても死にたくなってしまうのです。

いや、解決するためには死ぬしかないのではないかと思われるのです。


死にたい気持ちを他人に発信することはこれまであまりしませんでした。

不幸に溺れた自己憐憫の気持ちを他人に押し付けるなんて烏滸がましすぎるし、話しかけた相手が現在幸せだったら良い気分を害して申し訳ないし、既に相手がつらい状況だったら不幸自慢なんてしたくないし…


しかし、どうにもこうにも考えても結論が出ないので、こうして誰かに相談したい気持ちを抑えることが出来ず、

ネットという場所に頼ってみてしまったのです。


誰かがみてるかも分からないし、誰も見てないかもしれない。

いっそ誰にも見て欲しくないと思うけれど、心の底からの気持ちを死ぬ前に1度くらい見てほしい。

そういう気持ちです。


自殺する方が遺書を書きますが、こういう気持ちなのかなぁとふと思いました。

誰にも迷惑をかけずに静かに消えたいけど、最後に、ひと足掻きだけ、許されるのではないだろうか。


ネットに公開記事として出すというリスクが高すぎる行為ですが、これまで散々我慢をさせられてきたので、最後に、私も両親に対してひと足掻きだけしてみたい。


両親に対する虚しい抵抗といえば、不登校も1つの無言の抵抗であったのかとも思われます。

本当は、私はずっと両親に受け入れて欲しかった。

不登校でも、許して欲しかった。不登校の私でも受け入れて欲しかった。

朝になると起きろと怒りに来る父親と母親が怖くて仕方なかった。


不登校をきっかけとして、これまで水面下であった家庭内のぎこちなさに火が付いて、表立って私の話題で両親が喧嘩したりすることが増え、

時間を遡って教育のやり方についても2人の考えの差が口論になり、育て方を間違えたのは母親のせいだと怒る父親に、進学校に無理に行かせたのが悪かったと言われ、

仲の悪い両親に兄も家にいづらさを覚えて申し訳なかったし、

激しすぎる喧嘩の日は涙が止まらなかったし、父親が殴るんじゃないかと思うと喧嘩を無視して眠ることも出来なかったし、

中3から学校に行くようになってからも、時々起こる喧嘩が丁度部活の大事な時期と重なって精神が参ったし、

喧嘩中に離婚だ!とか言う両親の一言に振り回されたし、


私は何が正しかったのか分かりません。

家の歪みを表面化させたきっかけが自分自身であることが申し訳なく当時も毎日死にたいと思っていたし、今も消えたいです。



長く書いてしまいましたが、要は両親の不仲がどうしても治らないのです。


自分のことは自分でやれるようになって、

この春休みに沢山成長して、

実際前向きに自分を変えてきたのに、

自分の長所を見つけて自分を自分で認めてあげることも出来るようになったけど、

両親の不仲さは変わる気配がないのです。


自分のことは思うように良い方向へ変えられるけど、他人のことは上手く変えていける気がしません。



そして明日は私の成人式の前撮りの日です。


良い機会だし家族が集まって家族写真も撮ってしまおうと母親が言い出したので、父親と兄も来ることになりましたが、

連絡不足で段取りが上手くいかなくてすれ違う両親に、

なんで連絡くらいロクに出来ないのか不思議で仕方ありません。


良い大人なのに、私には甘えることを許さず育ててきたくせに、なんで自分には甘くて、相手への不満を隠そうとせずに、我を通したがって、連絡が不足し、

主役であるはずの娘が気を揉まなければならないのか。


私は自分が主役の日でさえ、何も考えずに主役を楽しむことを許されないのでしょうか?


私がとても小さいことで勝手にイライラしているみたいで、自分が嫌になってきました。



イライラしたくないのですが、家族のことになるとどうしても取り乱してしまいます。


私はどこかおかしいのでしょうか?

自分が動かずに家族に期待しすぎているのでしょうか?


これまで家族のためを思って、私は真面目に素行も良好に生きてきたのに、

遊ばずにちゃんと家に帰ったし、心配はかけないようにしたし、青春を返上して、

父親が気分を害さないよう常に顔色を伺って、

家族がこれ以上バラバラにならないよう家にキチンといたのに、

兄は家を出て行くし母親は相変わらず勝手だし、父親を逆撫ですることを言うし、


私だけ家に縛られてアホだったのではないかと思うようになりました。



実際この2月3月実家を離れて暮らし、ほぼ1人で動き回って、

母親にこれまであなたは無理と言われていたこともこなせたし、

自分は思っていたより引っ込み思案ではなかったし出来ることも沢山あったと気付きました。


家族と接さない方が心が安定していて、

私は家族と縁を切った方が成功するのではないかと思えてきました。


明日の前撮りの写真も1人で撮りたい。

ほんとうは私は家族が嫌い。

ほんとうは私は化粧が好き。

ほんとうは赤い口紅が好き。

ほんとうはおしゃれが好き。

ほんとうはモード系が好き。

ほんとうは家出してみたい。

ほんとうは夜遊びしてみたい。

ほんとうは誰かに甘えたい。

ほんとうは私は1人で出来る。

ほんとうは私は自由が好き。



化粧をしていて母親に良い顔をされないとき、赤い口紅を揶揄されたとき、私の心は実は死んでいたのではないか。

これまで、両親に否定されてきたことは、

ほんとうの私の自由や可能性を潰されていたのではないか、

バイトを始めて、手放しで褒めてくれる人と出会って、私は思ってるより出来ることがたくさんある人間なのではないか、

出来ないと思い込んでいただけではないか、


家族と縁を切った方が自分は幸せなのではないか、



冷静に何度考え直そうと思っても両親を責めるようなトンチンカンな無責任な考えばかりが頭を巡るのです。

これも全部、子供ゆえののワガママなのか。

屁理屈をこねるのが得意と昔から親に怒られてきたけど、これも屁理屈なのではないか、


何が正しいのか分かりません。


前向きに生きることが出来るようになったつもりだったけど、明日の前撮りがつらいです。

取り急ぎ、死にたい。


学生のしんどさも大人のしんどさと変わらないだろという話

 

 

こんにちは、お久しぶりの更新です。

 

はてなブログって前回の更新から一か月過ぎると「そろそろ書いてみませんか?」というメールが届くシステムなんですが、正直・・・

うっとうしいわ

 

記事の更新頻度なんて、毎日書く人もいれば一か月二か月にまとめてドカッと書く人もいるだろ?!?!?!っていう…

ま、それをいちいちはてなブログに怒る気もないのですが、メールボックスを3日に一回くらい確認する私としては8件くらい入ってる通販のおススメメールと並んで邪魔なメールの一つになってしまいますw

昔から催促されるのが大嫌いなタチなもので…

はてなブログたん(勝手に脳内で擬人化)は好意で「そろそろ書きたくなったでしょ?♡」って勧めてくれてるんだろうけど…

ごめんね♡

メールはゴミ箱入れといた

 

逆に、毎日更新してる人を見ると尊敬します。

記事書く体力が残ってるなんて、虚弱体質の私には無理です。

切実に一日の時間と体力のやりくりの仕方を教えてほしいです。

 

勢いで書き始めて飽きてやめた下書き2件くらいあるので免罪かな?

 

 

ここから本題

 

今日重い腰を上げて書き始めたのは、二日かけて考えが纏まったからです。

タイトル通り、学生のつらさも社会人のつらさも比べないでほしいという話。

 

このブログにも再三書いてるのでご存知の方もいらっしゃるでしょうが、中学二年の時に1年近く不登校をやってました。

(高校卒業まで延々と休みがちでしたw)

不登校やった奴なりに当時を振り返りつつ、書き連ねていくのでよろしくお願いします。

 

ざっと目次

  1. 私が不登校になったきっかけ
  2. 「所属先がしんどい」に学生も社会人もない
  3. 環境の変化についていけない時は自分で猶予を与えよ
  4. 「しんどさ」に学びを見出すのは後からでよい
  5. 「生きるか死ぬか」決死の判断の機会が遅いか早いか

 

 

1.私が不登校になったきっかけ

自分のことを振り返りつつ、しかも失敗点について大々的にネットに書き連ねるなんて正気か?!と私自身も思いますが、

もしかしたら、今不登校で悩んでる人や死にたいと思ってる学生がこれを読んでいるとしたら、

もしこの記事が参考になったなら、

そう思って大大的な概念的公開オナニーを始めたいと思います。

そうじゃない人も気軽に読んでください…

そもそも文章なんて全部概念的オナニーの結晶だろ

 

私が不登校になったきっかけは、転部して入った部活でした。

改めてここで断っておきたいのですが、当時所属していた先輩方や後輩さんをこの記事を書くことで貶めたい気持ちは一切ありません。

 

しかし、当時の私には部活がつらかった。

中一で所属していたゆるいバレーボールの部活を離れ、宝塚気分で適当に入ってみた演劇部が想像以上にスパルタで、事前知識を一切持たずに入った部活の実態についていくのに必死でした。

マナーに厳しいとか事前に何も聞かされていないのに(完全に物見遊山気分で入部したせい)、座っただけでマナーを1から10まで注意され、どうやら伝統らしい形式を見よう見まねで自分から覚えなければならず…

同輩は後輩の指導で手一杯だったので、私が聞ける雰囲気でもなく、後輩より後になってレポートの書式を知るとか多々ありました(笑)

あとは朝練の集合時間のとんでもない早さ、朝練での筋トレメニューがつらすぎて朝ご飯を吐いたり、気が遠くなったり…

 

スパルタぶりは運動部に匹敵するくらいだったんじゃないかと思います。

この部活で過ごしてきた私より前の代の先輩方や、今過ごしている後輩さんたちを思うと「全員スーパーマンでは?」と心の底から尊敬します。

 

新しい環境ですべてのことに当時精一杯だった私が一番しんどかったのは、先輩からの呼び出しでした。

私は朝練に寝坊するわ欠席するわ劣等生だったので、先輩からしたら私以上に腹の立つ後輩はいなかったのではないかと思います。

 

今から考えると「劇を作り上げていくうえで、欠員が出たら練習が回りにくくなり予定通り完成まで進めない」ということも分かるし、責任の取り方も分かります。

 

しかし、当時はまだ中二でした。

なんでも出来て不自由せず天狗だったわたしのケツが青かったのもありますが、何も知らずゆっくり教えてもらえない状況で、ドンドン追い込まれていきました。

まだ若い人が何か出来なくても急かさず見守ってほしい。

今、部活に馴染めなくて先輩に色々言われている人も、焦らないでほしいです。時間が経てば慣れます。

時間が解決する問題も、あります。

 

お腹をすぐに下す癖がついたのもこの頃からです。

一度メンタル面から体調を崩すと癖がついてしまうので、今、なにかしら精神的な問題で体を崩してるなと思い当たる人は、なるべく早くお医者さんにかかり、きちんとした処方を受けて早め早めに治していってください。

(経験則として、市販の薬で自己流で治そうと思ってもたいていの場合うまくいきません。)

お願いします。

 

部活の詳しい内情はさて置き、上手くいかなくなってから徐々に体にも異常が出てきました。

若いので朝練のハードな筋トレにも徐々に慣れていきましたが、体の奥、内臓は正直なのでそのうちにガタが来ます。

私の場合は、部活のことを考えただけで苦しくなったりお腹を壊したり、朝練に間に合うために電車内で腹痛を我慢し続けた結果、視界が白黒して倒れる寸前までいったこともあります。

我慢は良くないです。今何かしらおかしいと思った人にはすぐ休んでほしいと思います。

 

 

2.「所属先がしんどい」に学生も社会人もない

 

上に書いてきたように、色々な要因から所属先の部活にしんどさを覚え始めて結局体を壊し、朝起きるのがつらくなり不登校ライフを始めた私ですが、世の中の不登校の要因はいろいろあると思います。

私は部活という括りでしたが、人によってはクラスという括りであったり、仲良しグループであったり、はたまた学校であったりすると思います。

これが、当事者が社会人になると会社や勤務先という括りになるわけです。

 

最近は社会人の方々がブラック企業などの様々な勤務先の待遇の悪さゆえに鬱になり退職せざるを得なくなったり、最悪の場合自殺してしまうニュースが後を絶ちません。

学生のいじめゆえの自殺も問題になっています。

 

社会人の方々の問題は、労働状況の待遇改善などの取り組みが始まっていますし、うつによる休職やその後の転職など、うつの衆知によって社会の受け止め方も柔軟になってきたように感じます。

でも、学生はどうでしょうか。

 

学生というのは極めて特殊で、閉鎖的で、融通の利かない環境だと私は思っています。

 

少し休むだけで授業についていけなくなるし、宿題が何かも分からないし、クラスからも浮いた存在になるし、長期間休めばなおさらです。

会社の休職はだんだん受け入れられてきているように思えますが、学校で休学や退学なんてしたらキャリアはゴミくず同然だし、周りからの目は冷たいなんてもんじゃありません。

不登校時代に「せっかく進学校にいったのにね」と近所の目が苦しくて仕方ありませんでした。

近所で一人進学校にいったことは、逆に失敗したときに注目されざるを得なくて、進学校には何か陰口に耐えねばならん宿命でもあんのか?ってくらい謎でしたね。

 

もし今自分が不登校で、どこにも受け入れてもらえず、誰にも必要されていないと絶望している人がいたら、どうか絶望しないでほしい。

環境の特殊性のせいでもあるから、どうか気にしないでほしい。上手くいかないのは全部あなたのせいではない。あなたは、必ず、生きている価値のある人です。

 

所属先がつらいのに大人も子供もないです。

つらいかどうかの尺度はその人本人に委ねられているのだから、他人が判断するのはおかしいです。

私は、「こんなことも出来ずに、それくらいのことで休むな、会社には毎朝出勤しないといけないんだぞ、社会に出たらやっていけないぞ、大人になったらどうするんだ」

と言葉の暴力で殴られ、「つらい」をなかったことにされてきました。

今現在不登校の人も、こうして大人から否定されたことが一度や二度あるのではないですか?

 

大人から言われる言葉は残酷です。

正論で子供を殴ってきます。

ただ、その正論が時として子供を殺すことがあると知っていてほしい。

 

だいたい、なんのための「子供」だと思ってるんですか?

ここから学んで大人になっていくためではないですか?

そうやって正論を吐けるようになったということは、大人のあなたも何かしらの経験を経てその考えを身に着けたのではないですか?

その経験をしたのはいつですか?

子供のころのあなたは出来ていましたか?

 

学生の「つらい」にも目を向けてほしい。

そう思います。

 

 

社会人の方が会社でうつになって死にたくなることと、学生が学校でうつになることの重みは変わらないと思います。

毎日生きるか死ぬか、言葉通り命かけて悩んでる人を区別しても仕方ないですよね。

 

私は「生きるか死ぬか」本気で悩むことは誰にでも人生に一度は起こることだと思います。

社会人になって悩んでいるひとは、学生時代にはその機会がなくて、社会人でその機会が訪れた人。

学生のうちに不登校などの理由で悩んでいる人は、たまたま早めにその機会が訪れた人。

生きるか死ぬか本気で悩むから、だからこそ、その試練の時に得たものが今後の人生に活かされていく。

人生の転機とでも言うんでしょうかね。

 

それゆえに、学生時代に今不登校で悩んでいる人は未知の可能性があると思います

学生のうちから生死に関して深く悩むなんてなかなか無いですよ。

今回これだけ悩んだことは、今はしんどくても、悩みが解決した後は「解決する力」として身につきます。

生死の悩み」を解決した後なんて、なんでも解決できますよ。

人間の生死以上に深い問題なんてあります?どれもちっせ~モンですよ。

 

生きるかどうか迷ってたあの時に自分は一度死んだ」くらいに開き直れるようになると、あの時結局生きることを決断してくれたお陰で生きているという事実に感謝するようになります。

 

今死にたい気分の人も自分を責めないでくださいね。

 

この記事を読んでいる人の中で、過去に死にたかった人も、過去のあなたが生きることを選び取ってくれたことに感謝したいと思います。

生きていてくれて、私の記事を読んでくれて、ありがとう。

 

 

書いてたらバイトの出勤時間が迫ってきたので、ここで一度切ります!

続きはまた後日~!

 

 

  1. 私が不登校になったきっかけ
  2. 「所属先がしんどい」に学生も社会人もない      ☜イマココ!
  3. 環境の変化についていけない時は自分で猶予を与えよ
  4. 「しんどさ」に学びを見出すのは後からでよい
  5. 「生きるか死ぬか」決死の判断の機会が遅いか早いか

 

 

 

価値観の180度転換って案外あるよって話

 

こんばんは、狙ってるわけではないけど更新が夜に集中してます。

 

多分お風呂入りながら取り留めもないこと考えるのが習慣になってるので、そのお風呂プロセスを経て上手く文章化出来たぞ!っていう時に更新してるのかなと。

お風呂入るとき、他の人は何やってるんでしょうか?

私は主に反省会ですね。

あとは「あれやりたいな~」とか、この先の予定立てたり。

お風呂は力が上手く抜けててポンポン考えが浮かびます。

 

その反省会のせいでネガティブな時は余計落ち込むという

前回の更新の時に立ち直り方を覚えたので、今日は凹んでません!!!

 

その前回の教訓はこちら

 (最後の方に書いてあります)

utsudakedo.hatenablog.com

 

その立ち直りから色々派生して、今日は「どう考えればポジティブになれるのか?」をテーマに考え事をしていました。

 

立ち止まって動けなくなるのって、やっぱり大きな原因は頑固さだと思います。

 

ちなみに私は超頑固で拘りが強いです。(※これからはいい意味で生かしていこうと思っているよ!)

趣味第一で生きてるから一人の時間を邪魔されると怒るとか。

これもオタク気質の要因の一つかな・・・

 

で、ここから本題です。

その頑固さ、一回捨ててみない???

 

 

・・・いやいや、頑固だからこそ、今の考え捨てるとか考えられないんですけど。

 

 

そうだね~!そうだよね~~?!

日本全国の頑固なフレンズのみんな~~!

わかる~~~!!その気持ちわかる~~!!!

 

そこで未だにちょっと頑固なわたくしからの一言。

 

そういえば

この私でも価値観180度変わったことあったわ。

 

 

 

なんで今更思い出したのってくらい今更な話ですが、去年からKpopファンやってます。

日が浅いね?

それくらい急に「好き」の対象になったんです。

 

これまで、韓国の文化なんてハマってしまう訳がないと思ってました。

「え?韓国?整形でしょ・・・チャングンソク別にイケメンじゃないし顔怖いし・・・整形はks」とか

「韓国って強引だしわがままな国だな」とか政治的にもモヤッてたので

(※政治面での深い議論はここではしません)

韓国を好きになるはずがなかったんです。ほぼ100%。

 

なおさらKpopに関しては偏見が凄くて、中学生当時韓流ブームだったのでハマっている友達も多かったのですが、あまのじゃくな私は「絶対好きになってやるもんか」くらいの気持ちでした・・・

ちらっと見ただけの韓国俳優の顔だけで「全員ブス」と決めつけてたり・・・

 

今思うと、偏見って超無意味だし損しかない。

超悔しい。

 

損っていうのも、ブームだった当時(私の体感だと2012~2014頃)からハマっておけば、今の推しグループの全盛期を一緒に楽しめたのに!!!!!

新人から何かの曲で一気にブレイク!っていう醍醐味を一緒に駆け抜けられたのに・・・

アイドルと一緒に駆け抜けて一緒の景色を見られるっていうのがとてつもなくワクワクして好きなので超悔しい。

(詳しいアイドル観については後日語りたいと思います。)

 

 

重要なので繰り返し言います、偏見は損です

 

ここから得られた私の教訓としては、

ブームに乗るのって超楽しいし良いこといっぱい!!

です。

供給もどんどん出てくるから楽しんだもん勝ちです。

あとからブームを追いかけるのはしんどい。たいていの場合はブーム時ほど供給がない。

 

「ブームにすぐ乗る尻軽女どもめ」とお思いかもしれませんが、繰り返し言うように乗って損はないし、尻軽が嫌ならなりふり構わず全部に食いつかずに、何か少しでも心の琴線に触れたら乗るべきです。

その自分のアンテナの反応は疑ったら駄目だと思います。

それこそがインスピレーションってやつだと私は思います。

思わんところに自分の好きなものを吊り上げるためのレーダーが反応するもんです。

 

わたしは、自分の好きなものって増えたほうがいいと思ってます。

「好き」って気持ちは超ポジティブ。純粋で穢れがない。なんでもできる。

私の場合は好きになったら弾丸のようにそれに心血を注ぐし行動も早い。

何かを好きになることは罪ではない。いろいろな物事の原動力になるし、一番尊ばれるべき感情だと思います。

 

 

で、話がちょいと逸れたので戻します。

私の場合は思いもよらない形で「絶対に好きにならん」と思ってた韓国アイドルを「好き」になりました。

 

・・・こ、コペルニクス的転換~~~!!!!!

 

価値観の180度転換なんて普通に起こるんだなと思いました。

趣味の範囲だったので私自身見落としてましたが、頑固でもこういう価値観の転換ってマジであると思います。

人生わからんな。

 

今現在、頑固で悩んでても大丈夫。

今すぐに変われってわけじゃないんです。

「誰にでも変化が起こり得る」と思っとくと気が楽だし、一応その変化を受け入れやすいと思います。

 

頑固ゆえに悩みがちなフレンズのみんな~!

希望はあるから生きよ~!

 

 

絶対ハマらんと思ってた他国の文化にハマった私の感想をここに書いときたいと思います。

 

政治的にはいろいろな国がいろいろな理由で対立やすれ違い、問題を抱えています。

しかし、それだけが全てではありません。

私たち一般人は、こうやって今もその国家という大きな枠組みとはまた別の次元で日々活動していて、日々生きているわけです。

国家の枠組みを忘れろ、とかいう訳ではありません。そこまで能天気じゃないです。

しかし、その枠組みに囚われては私たちの日々の活動はとても味気なくなるし、伸びしろがなくなります。

別の次元では国家の枠組みがあるけど、それを飛び越えて自由に活動ができるのが一般人の強みではないですか?

文化と政治はまた別だと考えます。

文化は多様性から育まれ発展します。

「○○国だから」という偏見はつまらないと思います。

食わず嫌いは良くない。

政治面では良く思ってないとしても、その国に住む人々はまた私と同じように日々生きているだけなのです。

自由に生きよう!

そう思います。

 

枠組みではなくその人、その物事の良さに目を向け、評価したい。

「好き」は幸せだ。

 

 

明日も偏見を乗り越えて自分の価値観を柔軟に、そして経験を豊かにしていきたいと思います。

 

 

Kpopにハマって自分の音楽への興味も増えてチョ~~~楽しい!!!!!!

フレンズのみんな~~!!!人生たのし~~~!!!!

 

 

 

おととい死にかけた話②

 

前回のまとめ

ストレスのせいで急に死にそうになった

 

 

utsudakedo.hatenablog.com

 

 

今回は前回の記事を踏まえたうえで反省会です。

 

 

死にかけて思ったこと

まず、血液検査の結果が健康的すぎ。

風邪とか引いたりしても変化するらしい白血球とか、内臓うんぬんが悪くても変化するらしい色々な項目、見せてもらいましたけど、全くもって健康。

腹立つくらい普通。

というか病院に来てる人たちの中で一番いい数値だった自信あるわ。

 

それでまず言えることは、ここ最近あまりにも献立とか栄養状況、睡眠状態に過敏になってたけどいらん心配だった。

 

病は気からとも言いますが、考えすぎはよくないのも確かですね。

今回、こうやって数値として分かったことだし、これからは少し気楽に構えていけそうです。

 

逆に考えれば、人生で一番適当になりがちな時期の大学生でここまで健康に気を使ってる私は素晴らしすぎるのでは?

 

 

でも、診断結果言われた時とてもショックだったんですよ。

考えられる原因はストレスだと????

これまでの私の努力をすべて否定されたような気分でした。

この気持ちはなぜなのか?

 

~回想入ります~

 

 

この1か月間の頑張り

 

正直、この1月から人間に本格復帰したばかりで「あれも」「これも」やること山積みだったわけです。

前回更新したときは丁度大学のテスト期間前くらいで、一気に心の中を整理してザーーーッと書き上げて超絶スッキリ!って気分で忙しくテストと戦って来たのです。

 

私はある程度やることが沢山あった方が、冷静に「次はこれ」とか「これを実現するにはこうするべき」とか浮かんできて効率よく動けるので、好きなタチだなぁと実感したのがこの1月下旬でした。

 

でもこの2月になって、何があったと思います?

春休みですよ。

長期休暇。

これこそ大学生の特権といっても過言ではない。

休みを利用して旅行に行ったり親睦を深めあう青春まっただなか。

もちろん私には縁がない話ですけど

 

 

しかし、忙しく1月を過ごしてきた私は同じくらいの忙しさを無意識に求めてました。

何よりもこれまで4年くらいうだうだしてた自分が許せなくて、早く自分を許せるレベルまで引き上げたかった。

 

だらしない自分に自分が一番腹が立ってて、

比べなくてもいいのに一般的な健康体の人と比べて、

まだ健康じゃない、まだ立ち直ってない、まだまともな人間じゃない・・・

 だから本当はじわじわ溜まってたはずのストレスにも気付かなくて。

 

 

今振り返ってみると、私、自分に厳しすぎひん??

(せめて明るく言いたくて慣れない方言を使いたがる)

 

現在カウンセリングに週一で通っておりますが、カウンセラーさんにも言われるくらいの厳しさ。

これも完璧主義の弊害ですが、目指す高みが高すぎて自分を追い込んでますね。

 

 

自分への厳しさの根底にあるのは何か?

もう、正直自分を責めるのはやめたい。ストレスの原因だと思うし。

なんでこんな厳しいの私は???

 

そこで考えられる結論として挙がったのは、

これまでの自分を恥ずかしく思ってるから。

 

これまで偉そうに記事書いて「うつはキャリア」とか言ってた人間がまだ言う?って感じですが、これに尽きます。

 

世の中でいう普通の人、普通の生活を問題なく送れている人、休まず仕事に行っている人、休まず学校に行っている人、そういう人にならなければ、という意識がずっと自分を追い込んでいます。

 

普通って何?と思われる話かもしれませんが、私にとって普通というものは渇望するものです。

 

これまで、わりと紆余曲折を経てきた19年でしたが、世間一般のレールからは大きく外れてるなぁという生活態度でした。

学校も休みがちだったし、不登校もあったし。

私から見たら毎日ちゃんと登校するってだけで半端じゃなく凄いことです。

 

休みがちで遅刻もしょっちゅうしてた自分が周りにかけてきた迷惑や、無責任な自分を思うと今も許せなくて、

「当時の周りの人に申し訳なかった」とずっと不登校時代の後ろめたさを抱えて卒業したので、そういった普通の人とあれこれ比べがちなんだと思います。

 

比べることがすべての元凶である。

やめような。

 

 

「比べる」癖からその先へ

じゃあ比べずにどうすればいいわけ?とお思いの皆さん、

私なりの答えは

少なくとも、外に出て活動するようになったんだから前より成長している。

と考えることです。

過去の自分と比べるわけです。

 

一度に求めすぎないこと

高みを目指そうとストイックすぎるのは、確かに私のいいところだけど、上を見すぎて足元おろそかになって転んだら元も子もない。

坂道を転がり落ちるようにどんどんネガティブになるし、体調も回復しなくなるだろう。

結局、自分が一番避けたい以前のように少しのきっかけで心が折れてすべて台無しにする無責任な姿になりかねない。

アカンアカン。

 

これから私が目指したいのは何かあっても立ち直れる私である。

 

立ち直るためには、足元見たっていいじゃん。

というか、現実世界で私たちみんな転んだ時って地面を見るし、地面に手をついて起き上がるよね?

 

いいじゃん、足元。

いいじゃん、足元固めていこうよ。

 

 

そもそも…

大学1年にしてここまでいろいろ考えたり悩んだり、なにより勉強する意欲あるのが素晴らしすぎるのでは?

やりたいこと、知りたいことが多すぎて、人の一生が短すぎるのではないかと最近思っている私です。

 

みんな自信もって生きよう。

 

 

あ~~水曜日に勢いのまま死なずに生きてて良かった。

死んでたら好きなアイドルのCDも買えなかった。

推しメンのトレカ引き当てたし、今日はなかなか良い日だったのでは?

 

 

今回学んだこと

  1. ストレスで体調を崩すことは本当にある
  2. そうそう体調を崩すことはないから栄養素の心配しすぎはやめる
  3. タイミングの悪い日は悪いことが重なるものなので仕方がない
  4. すぐに結果を求めない
  5. 自分のペースでじわじわ人間に復帰していければよい
  6. 何かあったら昔の自分から成長点を探す

 

おわり。